企業のBCP策定が進む一方で、「マニュアルにない事態」に直面した際、現場が適切な判断を下せる体制づくりが、多くの企業において急務となっています。
本稿では、令和8年熊本地震で発生した商業施設での「再入館」を巡る事象を題材に、危機管理の最前線を知る5名のコンサルタントが多角的な視点で議論を重ね、複雑な状況下での意思決定の難しさと、そこから得られる教訓を考察しました。
失敗の原因を単なる「誰かのミス」として片付けるのではなく、自社のリスクアセスメントにどう組み込むべきか。そして、マニュアルの限界を越えて現場の対応力を高める「意思決定訓練」のアプローチについて解説します。
令和8年熊本地震から考える、BCPの「再入館」と意思決定
2026年7月28日16時27分、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1(暫定値)の地震が発生し、熊本県宇城市・氷川町で最大震度7を観測しました。気象庁は、この地震とその後の一連の地震活動を「令和8年熊本地震」と命名しています。
今回の地震では、企業のBCPを考える上でも、非常に重い出来事が発生しました。被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表します。
熊本県嘉島町のイオンモール熊本では、地震発生後に大規模な爆発が発生し、テナント従業員7人が亡くなりました。報道によれば、亡くなった従業員はいったん屋外へ避難した後、館内へ戻っていたとみられています。
その後イオンは、貴重品の回収やレジ締めなどを希望した従業員に対し、安全確認が完了する前に現場担当者が一時入館を認めていた事実があったと明らかにしました。また、「避難後に生じ得る私物の回収要望や帰宅困難者等への具体的な対応を想定していなかった」としています。
なお、本稿執筆時点では爆発原因の調査は続いており、経済産業省が事故調査委員会を立ち上げ、本格調査の実施が予定されています。事業者が現場確認を行った結果、ガス漏れに伴う事故であることが疑われるとのことですが、原因そのものが確定したわけではありません。
地震による避難が完了してから建物の安全性が正式に確認されるまでの間、現場では建物や設備に残る危険への対応と、避難者から寄せられる様々な要望への対応が同時に求められます。この初期避難から安全確認、そして再入館に至るまでの時系列の流れと、現場が陥りがちな「意思決定のグレーゾーン」を示したのが以下の図です。
図1:震災後の事業所再入館プロセス
おそらく、この事案は多くの企業にとっても他人事ではないはずです。そして、この出来事を知った多くの方が、こう考えたのではないでしょうか。
何をするのが正解だったのか。どうすれば人命を守ることができたのか。
「安全確認が終了するまで、絶対に建物へ戻らない」そうマニュアルに一行追加すれば、この問題は解決するのでしょうか。しかし、事はそれほど単純ではありません。
「誰の判断が悪かったのか」だけでは正しい学びにつながらない
大きな事故が発生すると、
「なぜ再入館を許可したのか」
「なぜ会社は止めなかったのか」
「施設管理者は何をしていたのか」
「マニュアルはなかったのか」
といった議論が起こります。
もちろん、事故原因を明らかにし、不適切な判断や仕組みの不備があったのであれば、是正する必要があります。しかし、BCP担当者として今回の出来事から教訓を得ようとするなら、別の問いも立ててみる必要があります。
「もし同じことが自社で起きたら、私たちは本当に迷わず判断できるだろうか」
例えば、震度6強の地震が発生し、従業員全員を建物の外へ避難させたとします。すると社員から、
「財布とスマートフォンをロッカーに置いてきた」
「車の鍵を取りに戻りたい」
「毎日飲んでいる薬が中にある」
「売上金をレジに残したままだ」
「会社のパソコンを置いてきてしまった」
という申し出が出てきた。皆さんの会社では、誰が、何を根拠に「戻ってよい」「戻ってはいけない」を判断するでしょうか。
実際の災害では、こうしたマニュアルの「余白」に直面します。また、マニュアルがあったとしても、正常性バイアスによって危険性を過小評価したり、必要な情報がそろわないまま判断を迫られたりするなど、意思決定を難しくする問題が次々に生じます。
だからこそ、今回の出来事を単に「誰かが判断を間違えた」で終わらせてしまうと、重要な教訓を取り逃してしまう可能性があります。
そうした取り逃しを防ぐための一つの考え方が、事象を「失敗(failure)」「ミス(mistake)」「エラー(error)」という観点から捉えることです。組織学習に関する研究では、failureは期待した結果が得られなかったという「結果」を、mistakeは判断や計画上の問題を、errorは意図や手順から外れた行動などを表す概念として整理しています。
例えば、現場の人たちが会社の定めたルールに従って行動したにもかかわらず、事故という望ましくない結果が生じることがあります。この場合、failureは生じていますが、直ちに現場のmistakeやerrorがあったとは限りません。ルールや設備、情報伝達、組織体制、想定していなかった外部環境など、別の要因を検討する必要があります。
このように考えることで、望ましくない結果を直ちに誰かのミスと結びつけることなく、早計な責任追及や原因の単純化を避けやすくなります。つまり重要なのは、原因を一つに決めつけず、何がその結果に影響したのかを幅広く検討することです。
この観点を意識すると、すべてを「誰かのミスだった」で片づけるのではなく、「判断を誤った部分は何だったのか」と、「現在の仕組みで防ぎきれなかった部分は何だったのか」を分けて考えやすくなります。
図2:失敗の原因を切り分け、改善策を考える
図のように、判断や行動の側で改善できる部分があるなら、教育・訓練や判断基準などを見直すことが考えられます。一方、仕組みや環境の側で改善できる部分があるなら、ルールや設備、体制などを見直す必要があります。
また、実際の事故では、どちらか一方だけに原因があるとは限りません。「判断・行動」と「仕組み・環境」の両方が関係している可能性も踏まえて検討することが重要です。
こうして原因を切り分けていくことで、
「ルールを変えるべきなのか」
「設備を変えるべきなのか」
「情報収集の仕組みを変えるべきなのか」
「教育や訓練を変えるべきなのか」
という、より実務的な改善策を考えやすくなります。
必要なのは、今回の事象を踏まえたリスクアセスメントの再実施
ここまで考えてくると、一つ明確なのは、今回の事象について「何か一つの対策を追加すれば十分だった」とは言い切れないということです。だからこそ重要なのは、今回明らかになった論点を、自社にとって新たなリスクシナリオとして捉え直すことです。
実際、対象施設の規模や性質によっても、自社が施設を管理する側なのか、施設を利用する側なのかによっても、見るべきポイントは少し異なります。さらに実際の災害時には、両者の判断が接続する場面も少なくありません。
例えば再入館一つをとっても、施設管理側には「安全確認が終わっていない中で、誰が、どの条件で再入館を許可するのか」という問題があります。一方、テナントなど施設利用側には、「施設側の判断や指示が曖昧な場合に、自社として従業員へ何を指示するのか」という問題があります。
つまり、今回の出来事から持ち帰るべきなのは、「再入館禁止」という一つの答えではありません。
自社の立場に置き換えたとき、どのようなリスクがあり、現在の対策で本当に対応できるのかを改めて点検することが重要です。
ただし、どれだけリスクを洗い出していても、実際の災害では今まで想定していなかったリスクが生じる可能性があることに留意しなければなりません。加えて、特に意識しておきたいのが、一つのリスクへの対策が、別のリスクを生むこともあるという点です。
例えば、「屋外へ避難させ続ける」という判断も、余震や二次災害から人を守る一方、猛暑や豪雨、寒冷による被害といった別の危険を生む可能性があります。
つまり、リスクアセスメントでは、「このリスクにどう対処するか」だけではなく、「その対策を取った結果、次にどのようなリスクが生じるか」まで考えることが重要となります。
今回の事象を踏まえると、次のようなリスクシナリオが考えられます。
【表】リスクシナリオと施設管理側・施設利用側の主な論点・対策
| リスクシナリオ | 施設管理側の主な論点 | 施設利用側の主な論点 | 主な対策 |
|---|---|---|---|
| 1. 安全確認前に従業員が再入館するリスク |
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再入館の原則・例外の明確化/許可権限者の指定/施設側と利用側の判断基準・連絡方法の確認/避難時に携行すべき物品・持ち出してよい物品の明確化/私物・重要物品の保管場所の見直し/再入館を物理的に管理する仕組み |
| 2. 目視だけでは把握しきれない異常・危険を見落とすリスク |
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専門家の知見を踏まえた安全確認項目・方法の明確化/ガス検知器・各種センサー・遠隔監視設備等の活用/高所設備・外装・屋上設置物・什器類等の定期的な安全確認 |
| 3. 現場責任者が判断できないリスク |
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判断基準の明確化/相談先・エスカレーションルートの設定/一人への責任集中の回避/専門家の知見を得られる体制づくり/定められたプロセスに従った判断を組織として支える仕組み |
| 4. 一つの危険を避けた結果、別の危険にさらすリスク |
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一次・二次避難場所の事前検討/移動基準の明確化/水・日陰・防寒用品等の確保/備蓄品の配置見直し/施設側と利用側の連絡方法の確認 |
| 5. 安全確認ができず、施設閉鎖が長期化するリスク |
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代替の安全確認手段/遠隔確認/代替拠点・在宅勤務/重要データ・業務資産・備蓄品の分散/重要物品へのアクセス代替手段/BCP切り替え基準の明確化 |
ニュートン・コンサルティングが作成
なお、自社だけで完結しない点にも注意が必要です。商業施設やオフィスビルのテナントであれば、建物そのものの安全確認や再開判断は、施設管理側に依存する部分があります。しかし、だからといって「施設側の指示に従う」とだけ決めておけば十分とは限りません。
- 施設側から判断が示されない場合はどうするのか
- 施設側が再入館を認めても、自社として安全性に懸念がある場合はどうするのか
- 逆に施設管理側であれば、複数のテナントや利用者から異なる要望が出たとき、どのような基準で判断するのか
こうした組織と組織の境界で生じる判断についても、あらかじめ考えておく必要があります。リスクアセスメントの目的は、すべてのケースについて完璧な答えを用意することではありません。想定できるリスクを増やし、自社にとっての弱点を把握し、可能な対策を講じることが重要です。
それでも最後には「判断」が残る
こうしたリスクアセスメントを行い、新たなルールを設け、チェックリストを作り、設備を整えたとしても、すべてのケースについて明確な正解をあらかじめ決めておくことはできません。
最後には必ず、
「この状況で、どうするか」
という意思決定が残ります。
想定と違う状況が発生した場合、マニュアルの外側で現場が迷うことになります。
大切なのは、
リスクを想像する。
対策を考える。
その対策によって生まれる別のリスクも考える。
判断基準を整える。
それでも迷う状況を訓練する。
そして、自分たちがどのような前提や価値観で判断したのかを振り返る。
この繰り返しではないでしょうか。
そこで重要になると私たちが考えているのが、意思決定訓練です。
例えば、本社や現場責任者に次のような状況を提示してみます。
意思決定訓練:状況提示
震度6強の地震が発生した。
従業員と来訪者は全員、建物の外へ避難している。
外から見た限りでは建物に大きな損傷は確認できない。
しかし、専門家による安全確認は終了していない。
気温は35度を超えている。
避難開始から1時間が経過し、体調不良を訴える人も出始めた。
そこに、一人の社員がやってきた。
「持病の薬を建物の中に置いてきました。取りに戻らせてください」
あなたが現場責任者なら、どうするか。
この訓練で大切なのは、「模範解答」を当てることではありません。
- 何を最優先するのか。
- 何が分からないのか。
- どの情報があれば判断できるのか。
- 誰から情報を集めるのか。
- 誰を意思決定に巻き込むのか。
- どのリスクを受容し、どのリスクを受容しないのか。
- 一度下した判断を、どの条件になったら変更するのか。
こうしたことを考え、議論することに意味があります。なぜなら、実際の災害対応では、常に明瞭な正解があるわけではないからです。
人命、安全、従業員の健康、事業継続など、いずれも大切な価値の間で、何を優先するのかという判断を迫られることがあります。だからこそ、マニュアルを覚えるだけではなく、「迷う状況でどう判断するか」を訓練しておく必要があります。
図3:マニュアル外の事態に備える「意思決定訓練」アプローチ
今回の出来事を、自社のルールを一つ増やすための教訓で終わらせるのではなく、自社のリスクアセスメントと意思決定のあり方を見直す機会にする。それが、今回の事象から企業が持ち帰るべき重要な学びの一つではないでしょうか。
※本稿は2026年8月31日時点で公表・報道されている情報をもとに執筆しています。イオンモール熊本で発生した爆発事故については、関係機関等による調査が続いています。本稿は事故原因や個別企業・関係者の法的・社会的責任を評価することを目的とするものではなく、BCP・危機管理の観点から企業が自社に持ち帰ることのできる論点を考察したものです。
執筆協力:
アソシエイトシニアコンサルタント 山本 真衣
チーフコンサルタント 日野原小春
チーフコンサルタント 関口咲
チーフコンサルタント 奥津巧海
チーフコンサルタント 田中駿介