なぜ今、複合災害〈マルチハザード〉訓練が求められているのでしょうか。
これまで企業のBCP訓練では、地震や水害、サイバー攻撃など、個別のリスクを想定した訓練が中心でした。しかし、東日本大震災や能登半島地震のように、複数の災害が重なる「複合災害」が実際に起きており、企業の事業継続を脅かす事態が発生しています。このような想定外の事象が重なる過酷な状況下において、企業はいかにして被害を最小限に抑え、適切な意思決定を下すべきなのでしょうか。
本稿では、能登半島地震など災害の最前線で企業のリスクマネジメントを支援してきたコンサルタント4名がその経験と知見を結集して考察を行いました。「複合災害〈マルチハザード〉訓練」の重要性と、その効果的な実施方法、設計の要点について解説します。
東日本大震災、能登半島地震…複合災害は現実に起きている
BCP訓練が、ややマンネリ化している。
より現実的な災害対応力を身につけたい。
社会的影響が大きく、止めてはいけない重要事業がある。
上記のいずれかに該当する企業は、これからのBCP訓練の一つとして、複合災害〈マルチハザード〉訓練を検討してみてもよいかもしれません。
複合災害〈マルチハザード〉とは、「複数の災害や危機が同時に、あるいは時間差で発生し、その影響が重なり合う状況」を指します。
たとえば、
「地震対応の最中に噴火が起きる」
「水害からの復旧途上で、別の自然災害が発生する」
「サイバー攻撃への対応中に、それに便乗した顧客へのフィッシング攻撃が発生する」
こうした「ダブルパンチ」「トリプルパンチ」のような状況を想定するのが、複合災害訓練です。
図1:複合災害〈マルチハザード〉訓練とその効果
とはいえ、こう思う方もいるかもしれません。
「ただでさえ滅多に起こらない事象を想定して訓練しているのに、さらに複数の危機を重ねる意味があるのか」
「単一災害の訓練すら十分にできていないのに、複合災害まで考えるのは早すぎるのではないか」
その感覚は、決しておかしなものではありません。しかし、複合災害〈マルチハザード〉は、決して特殊な空想シナリオではありません。むしろ、過去に何度も現実に発生してきたものです。
東日本大震災では、地震、津波、原子力災害が重なり、その後も大きな余震が続きました。令和6年能登半島地震の被災地では、同じ年の9月に記録的な豪雨が発生しました。2021年のKaseyaのランサムウェア事案では、攻撃対応の最中に、Kaseyaの通知を装ったフィッシングメールが顧客向けに送信されました。さらに昔にさかのぼれば、1707年10月28日に南海トラフ沿いで宝永地震が発生し、その49日後の12月16日に富士山の宝永噴火が始まったこともよく知られています。
また、東京都が公表している「首都直下地震等による東京の被害想定」(2022年)でも、定性的な被害の様相の一つとして「複合災害」が取り上げられています(※1)。具体的には、地震後の水害、火山噴火、感染症拡大などが想定されており、単一の地震被害だけでなく、複数の事象が重なることによる被害拡大にも目が向けられています。
さらに、国の首都直下地震の被害想定では、“基本的な被害想定・様相を超えて発生する可能性のある”「過酷事象等への対応」として、大規模停電(ブラックアウト)、広域通信障害、交通機関の長期停止なども扱われています(※2)。
図2:首都直下地震における「過酷事象」:想定される15の重大リスク
企業のBCP訓練という観点から見れば、複合災害〈マルチハザード〉も、こうした過酷事象に近いものとして捉えることができます。
つまり、複合災害〈マルチハザード〉は、決して特殊な話ではありません。企業の対応力やBCPの実効性を高める上で、今後、検討すべきテーマの一つになりつつあるのです。
(※1)東京都「首都直下地震等による東京の被害想定」(令和4年5月25日公表)
(※2)中央防災会議 首都直下地震対策検討ワーキンググループ「首都直下地震の被害想定と対策について(報告書)」(令和7年12月19日)
「大災害時に企業にできることは限られている」は本当か
もっとも、こう思う方もいるかもしれません。
「複合災害を想定したところで、企業にできることは限られているのではないか」
確かに、企業が地震を止めることはできません。豪雨や噴火、停電、広域通信障害そのものを防ぐことにも限界があります。複合災害が発生した場合、外部環境そのものをコントロールすることはできません。しかし、それは「企業として備える余地がない」という意味ではありません。
むしろ、複合災害時に企業側へ残される課題は数多くあります。
- 複合災害時における企業の課題
-
- 限られた人員や時間の中で、何を優先するのか。
- 人命安全、供給責任、顧客対応、法令対応、広報対応が衝突したとき、どの判断基準を優先するのか。
- 現場にどこまで裁量を与え、どこからは全社として統制するのか。
- 目の前の復旧対応に集中する一方で、二次・三次リスクをどのように監視するのか。
- 本社と現場で情報が食い違ったとき、誰が何を根拠に最終判断するのか。
こうした論点は、災害そのものを防ぐ話ではありません。危機が起きた後に、組織として判断し続けるための力です。
複合災害訓練の意義は、まさにここにあります。想定外に近い状況の中で、自社の判断基準、役割分担、情報共有、優先順位づけが機能するのかを確認する。どこで判断が止まるのか、どの部門に負荷が集中するのか、どのリスクを見落としやすいのかを可視化する。
それは、災害を完全にコントロールするためではありません。コントロールできない状況の中でも、企業として取るべき判断を少しでも早く、適切に行うためです。
だからこそ、複合災害訓練では、単に複雑なシナリオを体験するのではなく、「どの判断力を確認したいのか」を意識して設計する必要があります。
図3:複合災害〈マルチハザード〉訓練の意義
複合災害訓練とは、単にシナリオを複雑にすることではない
では、複合災害訓練を実際に設計する際には、何に注意すればよいのでしょうか。まず押さえておきたいのは、複合災害訓練とは、単にシナリオを複雑にすることではない、という点です。
「地震も起きました。サイバー攻撃も起きました。火災も起きました。さらに重要サプライヤーも止まりました」
このように、複数の事象を盛り込めば、それらしい複合災害訓練には見えます。実際、複合災害〈マルチハザード〉訓練という言葉を聞くと、複雑に絡み合ったシナリオを用意しなければならないと思う方もいるかもしれません。
しかし、これはよくある落とし穴です。シナリオを複雑にすればするほど、訓練準備は大変になります。関係者も増えます。参加者に与える情報も増えます。進行管理も難しくなります。その一方で、得られる結果はどうでしょうか。
「大変だった」
「混乱した」
「情報が多すぎて判断できなかった」
こうした感想は残るかもしれません。しかし、何を検証できたのか、どの能力が不足していたのか、次に何を改善すべきなのかが曖昧になってしまえば、訓練としての効果は限定的です。
複合災害訓練は「小さく始める」ことが成功の鍵
では、シナリオを複雑にしすぎず、複合災害訓練を有効なものにするにはどうすればよいのでしょうか。
キーワードは「小さく始める」です。小さく始めるとは、単に簡単な訓練にするという意味ではありません。シナリオ、訓練形式、検証範囲の3つを意図的に絞り込むということです。
1. シナリオを小さく始める
複合災害訓練というと、「大規模地震 × 大規模サイバー攻撃」のように、大きな事象同士を掛け合わせる訓練を想像しがちです。
しかし、最初から重たい事象を複数組み合わせる必要はありません。まずは、通常の地震対応訓練に、小さな追加制約を一つ加えるだけでも十分です。
たとえば、
「地震発生当日の気温が40度近くまで上昇している」
「社内チャットやWeb会議が使えない」
「重要拠点との連絡が途絶している」
「偽の安否確認メールが出回っている」
「SNS上で自社の対応に関する誤情報が拡散している」
こうした条件を一つ加えるだけでも、参加者は従来とは異なる判断を迫られます。
猛暑が重なれば、参集や屋外対応、従業員の安全確保の判断が難しくなります。通信障害が重なれば、対策本部の運営や現場との情報共有が難しくなります。偽メールやSNS上の誤情報が重なれば、災害対応中のセキュリティ判断や広報対応が問われます。
つまり、複合災害訓練では、二つの事象をどちらも同じ重さで扱う必要はありません。主となる災害シナリオを一つ決め、その対応を難しくする追加条件を一つ加えるだけでも、訓練の質は大きく変わります。訓練がマンネリ化している企業にとっても、従来とは異なる気づきを得るきっかけになります。
2. 訓練形式を小さく始める
訓練形式も、最初から大がかりにする必要はありません。いきなり実地訓練や大規模な対策本部訓練を行うのではなく、まずは短時間の机上シミュレーションから始める方法もあります。
たとえば、時系列に沿って、シンプルな状況を2~4つ程度提示します。
「地震発生から2時間後、社内チャットが使えなくなりました」
「翌日、重要サプライヤーから出荷停止の連絡が入りました」
「3日後、SNS上で当社の対応に関する誤情報が拡散しています」
このような状況について、10~15分程度、グループで簡単にディスカッションしてもらいます。
確認するのは、完璧な答えではありません。誰が判断するのか。どの情報が必要なのか。どの部門と連携するのか。今のBCPで対応できるのか。対応できないとすれば、どこが詰まりそうか。
こうした論点を短時間で洗い出すだけでも、複合災害に対する自社の弱点は見えてきます。
3. 検証範囲を小さく始める
小さく始める場合でも、「何を検証したいのか」だけは絞っておく必要があります。
複合災害訓練は、どうしてもシナリオが複雑になりがちです。だからこそ、「何のために、何を検証するのか」を通常の訓練以上にシャープに設定する必要があります。
たとえば、次のような課題仮説です。
- 課題仮説の一例
-
- 災害対応中は、従業員がフィッシングメールに引っかかりやすくなるのではないか。
- 当社の対策本部は、Web会議やチャットに依存しすぎているのではないか。
- 重要サプライヤーが止まった場合、調達、品質保証、事業部門の判断基準が衝突するのではないか。
- 本社と被災拠点の情報が食い違った場合、誰が最終判断を下すのか決まっていないのではないか。
このような仮説があると、訓練で見るべきポイントが明確になります。逆に、仮説がないままシナリオだけを複雑にすると、「混乱した」という感想は残っても、改善につながる学びは得にくくなります。
課題仮説を考える際には、既存BCPが機能しない典型的な失敗パターンから考えるとよいでしょう。もっとも、この課題仮説の設定は、実は簡単ではありません。既存BCPを作った社内メンバーだけで考えると、どうしても現在の計画や運用を前提にしてしまい、「そもそも何が崩れると危ないのか」という視点が抜け落ちやすいからです。
そのため、複合災害訓練を本格的に設計する場合には、プレモーテム分析、前提条件分析、ボトルネック分析、依存関係マッピング、FMEA、FTAなど、複数のアプローチを使いながら、検証すべき課題仮説を丁寧に立てることが有効です。
その意味で、課題仮説の設定に悩む場合には、外部専門家の知見を活用することも有効です。自社では当たり前になっている前提や、部門間の依存関係、判断基準の曖昧さは、社内だけでは見えにくいことがあります。複合災害訓練を設計するうえでは、単にシナリオを作るだけでなく、自社のBCPの弱い前提を見つけ、何を検証すべきかを明確にすることが重要です。
まとめ:複合災害訓練は、BCPの“前提”を見直す機会である
BCPは、計画書を作って終わりではありません。毎年同じ訓練をして、同じような課題を確認するだけでも十分ではありません。
複合災害訓練は、企業に無理やり不安をあおるためのものではありません。むしろ、既存BCPの前提を健全に疑い、組織の対応力を一段引き上げるための実践的なアプローチです。
また、複合災害訓練は、複合災害だけに備えるための訓練ではありません。通信途絶、要員不足、情報の錯綜、判断基準の衝突といった論点は、単一災害でも起こり得ます。だからこそ、複合災害訓練は、単一災害への対応力を高める上でも、効果的な手段になり得るのです。
災害対応中に通信が止まったらどうでしょうか。 事業復旧中にフィッシングメールが届いたらどうでしょうか。 重要サプライヤーの停止、SNS上の誤情報、経営層の不在、現場判断の遅れが同時に起きたらどうでしょうか。
まずは、小さなシミュレーションからでも構いません。既存訓練に一つ追加の制約を入れてみる。 自社BCPの前提条件を洗い出してみる。 どのリソースに依存しているかを可視化してみる。そこから、複合災害への備えは始められます。
重要なのは、複合災害を「特殊な話」として遠ざけるのではなく、「次に見直すべきBCPの論点」として捉えることです。その第一歩として、既存のBCP訓練に一つ制約条件を加えるところから始めてみてはいかがでしょうか。
複合災害訓練は、単なる訓練のバリエーションではありません。組織の危機対応力を、より現実に近い形で見える化するための、有効な手段なのです。
執筆協力:
シニアコンサルタント 大橋 洋二
アソシエイトシニアコンサルタント 山本 真衣
チーフコンサルタント 奥津 巧海
チーフコンサルタント 関口 咲