東日本大震災から15年~あなたの組織のBCPは本当に進化したのか~
今年は東日本大震災から15年の節目を迎えます。15年前のあの日、私たちは何を学び、それから、何を変えてきたのでしょうか。2011年当時、大手企業を中心に事業継続計画(BCP)の重要性が少しずつ認識され、徐々に整備が進んできたなかでの発災でした。未曽有の大震災は当時のBCPのあり方に数多くの課題を突きつけました。あれからBCPはどこまで進化したのか、その変遷をたどります。
東日本大震災以前:「文書」先行の時代
阪神・淡路大震災(1995年)が発生した当時、企業の危機管理は主に「防災」の文脈で語られていました。人命を守り、被害を最小化することが中心であり、事業を継続させるという視点はまだ十分に体系化されていませんでした。
転機の一つとなったのが、2001年の米国同時多発テロ(9.11)です。DR(災害復旧)やBCPという概念が広まり、復旧や事業継続を経営課題として捉える動きが強まりました。2005年の内閣府による「事業継続ガイドライン」公表を経て、国内企業のBCP策定は本格化します。
さらに2007年の新潟県中越沖地震では、自動車部品メーカー、リケンの被災により自動車産業の生産ラインが世界規模で停止しました。サプライチェーン全体を意識したBCPの重要性が広く認識されるようになります。
しかし、その多くは「形から入る」ことから始まりました。
BCP=文書。
詳細な被災シナリオを想定し、その通りに動けるよう手順を定める。分厚いマニュアルを整備することが、取り組みの成果とみなされていったのです。そうした流れの中で発生したのが、東日本大震災でした。
東日本大震災①:「文書」の無力さを突きつけられた震災
2011年、東日本大震災。それは、企業が積み重ねてきたBCPの実効性を真正面から問い直す出来事でした。
多くの企業で、事態は想定通りには進みませんでした。例えばある企業では、関東圏が深刻な被害を受けた場合に西日本へ本社機能を切り替える計画を定めていました。しかし実際の被災は、局所的なものではなく、広域かつ複雑な様相を呈しました。前提としていた状況と現実との間にズレが生じたのです。その結果、東西双方に対策本部が立ち上がり、指揮命令系統が並立する混乱が生じました。
さらに、津波、福島第一原発事故、計画停電、燃料不足、帰宅困難者の大量発生――。被害は物理的損壊にとどまらず、社会インフラ全体に波及しました。企業は、複数の危機への同時対応を迫られました。
東日本大震災②:震災からの本当の学び
東日本大震災が私たちに突きつけた教訓は、決して複雑なものではありません。
- 第1に、被災は想定通りには起きないということ
- 第2に、本当に活きるのは「文書」ではなく、「平時の活動」であるということ
1つ目の教訓に対しては、「想定外を想定する」という言葉が繰り返し語られました。その結果、BCP策定の発想は、原因事象ベース(何が起きるか)から結果事象ベース(どのような被害状態になるか)へと重心を移していきます。
しかし、より本質的だったのは2つ目の学びでした。象徴的なのが、宮城県名取市で産業廃棄物の処理を手掛けるオイルプラントナトリの事例です。A工場が被災した場合はB工場へ、B工場が被災した場合はA工場へ。同社は相互補完型のBCPを整備していました。
ところが、現実はその想定を超えます。両工場とも津波で被災したのです。形式的に見れば、BCPは機能しなかったようにも見えます。しかし実際には、検討の過程で整理されていた事業の優先順位が、限られたリソース配分の判断を支え、同社は発災の翌週には事業の一部復旧・再開にこぎつけました。平時から意図的に維持していた代替サプライヤーとの関係も、この局面で力を発揮しました。
同社の事業復旧を早めたのは、文書そのものではありませんでした。検討の蓄積と、平時の備えという「活動」でした。BCPの本質は、文書ではなく、平時の活動そのものにあったのです。
東日本大震災以降:オールハザードBCPという思想
その後も災害は続きます。東日本大震災から得た「被災は想定通りには起きない」、「本当に活きるのは文書ではなく、平時の活動である」という学びは、その後も揺らぐことはありませんでした。
2016年4月、熊本地震。震度7規模の地震が短期間に連続して発生し、「大地震は1度」という思い込みは崩れました。
2018年6月、大阪北部地震。通勤時間帯を直撃し、人的配置が平時の前提と大きく異なる状況での初動対応が問われました。
2018年9月、北海道胆振東部地震。広域ブラックアウトが発生し、「電力は広範囲で同時に止まらない」という暗黙の前提が覆りました。
そして2020年、新型コロナウイルス感染症の拡大。それは数年にわたり社会と企業活動を揺さぶり、在宅勤務、サプライチェーン寸断、需要構造の急変など、長期的な機能停止への対応を迫りました。
2024年1月1日、能登半島地震。元日の発災は、人の所在や移動状況が平時とは大きく異なる状態での対応を迫りました。
災害は常に、「想定の外側」から現れます。こうした現実を前に、計画にもさらなる柔軟性が求められるようになりました。「オールハザードBCP」という言葉が目立つようになったのはこの頃です。オールハザードBCPとは、特定の原因事象を精緻に想定するのではなく、発生し得る“状態”や“機能停止”に着目し、行動をモジュール化する発想です。
新型コロナの局面で顕著に試されたのは、BCP文書そのものよりも、組織の柔軟性でした。ビジネスホテルチェーン大手のアパグループが運営するアパホテルは、客室稼働率が急落する中、即座に価格戦略を転換しました。それはBCP文書に書かれた施策ではなく、状況を読み取った経営判断の速さそのものでした。
示していることは明確です。事業を守ったのは文書ではありません。平時に積み重ねてきた判断と行動の蓄積こそが、有事に力を発揮したのです。
BCPの進化=“本当の意味でのしなやかさ”の追求
こうして振り返ると、阪神・淡路大震災以降の30年は、企業が本質的なレジリエンスを獲得するまでの試行錯誤の歴史だったと言えます。
レジリエンスは「しなやかさ」と訳されます。そのしなやかさとは何か。それは、
- 計画の柔軟性
- 組織の柔軟性
- 人(思考・行動)の柔軟性
の集合体ではないでしょうか。計画の面では、原因事象ベースのBCPから結果事象ベースへ、さらにオールハザードBCPへと発想は進化してきました。想定を積み上げるのではなく、状態や機能に着目する方向へと舵を切ってきたのです。
一方、組織や人の柔軟性の重要性は、オイルプラントナトリやアパホテルの事例が示しています。事業を守ったのは文書ではなく、検討の蓄積と平時からの備えという「活動」でした。活動とは、単なる訓練の実施有無ではありません。
- 関係者が集まり、事業や業務の優先順位を議論すること
- 経営資源を失った場合の代替策を本気で考えること
- 訓練を通じて意思決定の癖やボトルネックを可視化すること
- そして、それを改善し続けること
こうした積み重ねが、組織と人の柔軟性を育てます。BCPの進化の行き着く先は、計画の精緻化ではありません。組織と人がしなやかに動ける状態をどうつくるか、という問いです。
それは特別な活動ではなく、平時の業務の中に織り込まれてこそ意味を持ちます。私たちは本当に、東日本大震災から学び尽くしているでしょうか。その問いを、今一度、自らに向ける必要があるのではないでしょうか。
あなたの組織のBCPは、文書ですか。それとも活動ですか。