コンサルタントコラム

「彼ら」の価値観に触れて思うこと

2020年04月08日

こんにちは。コンサルタントの田中遼です。初めてコラムを書かせていただきます。

私は読書が趣味で、通勤電車での読書が日課となっています。仕事に関する本はもちろんのこと、個人的に興味のある分野の本や、小説、息抜きになる本など、様々なジャンルの本を読むことを心掛けています。最近手にしたある小説では、多くのことを考えさせられました。今回は、その話をさせていただければと思います。

その本は、友人が貸してくれたミステリの連作短編集でした。ミステリ小説と言えば、何らかの謎に対して、探偵役のキャラクターが明快な推理を披露して解決するものです。ミステリ小説には、以下のような魅力があります。

  • 読者を唸らせるようなトリックの妙
  • 完全犯罪かと思われたような難事件が明快に解決されるスッキリ感
  • 悪者が正義によって打倒される、勧善懲悪的な痛快さ

しかし、今回読んだミステリ小説は、それらとは全く異なる魅力を持ち合わせていました。

例えば、ミステリ小説は何らかの「事件」をもとに物語が進んでいきますが、犯人の動機は、一般的には以下のようなものが多いと思います。

  • 怨恨系:過去に嫌がらせをされた、理不尽なリストラをされた等
  • 金銭系:資産家の財産を奪うため、生命保険等の保険料をもらうため等
  • 正当防衛系:襲われたので反抗した等

過去にこのようなストーリーを読み慣れていた私は、今回もこういった展開になるものだろうと踏んでいました。しかし、今回の連作短編集では、どれを読んでも上記のような動機は一切登場しなかったのです。

ある者は、所属する集落に伝わる名誉を我が手にするため。
ある者は、自らの信仰の正しさを証明するため。
またある者は、自分の持つ交易ルートに少しでも目印を残すため。

読んでいけばいくほど、私は上に挙げた動機以外にもいろいろな動機があり得ることを痛感しました。さらに印象的だったのは、これらの動機について、「特殊な人間による身勝手な論理だ」というような描き方がされていない点です。この小説に登場する犯人たちは、あくまでそれぞれの環境や立場において“普通”に生きており、合理的な判断の結果として罪を犯したように描かれているのです。この点は、非常に衝撃的でした。
もちろん、いかなる理由があろうと、「場合によっては罪を犯しても良い」といった主張はありえません。しかしながら、この小説の犯人たちの姿を通じて示された人間の動機の多様さ、奥深さには、ひどく心を揺さぶられるものがありました。

この小説を読み終えた後、私は電車の中でしばらくぼんやりと考え込んでしまいました。小説的な素晴らしさもさることながら、この時私が感じていたのは、「自分の想像力や思考の幅はまだまだ狭い。人の行動を紋切り型で理解してはいけない」ということです。

他人と接する中で、自分には理解できない行動を取られることもあります。そのような時、「彼は何を考えているのかわからない人だ」「どうせ○○だからこんなことをしたのだろう」などと勝手に判断を下してしまいがちですが、今回の読書経験を経て、そうした決めつけはよくないと思うようになりました。もしかしたら、私の知らないところで全く想像もつかない事情があって行動しているかもしれないのです。そのような他者の動機は、勝手に想像していてもわかるものではありません。人とコミュニケーションを取って初めて明らかになることだと思います。小説を読むということも、一つのコミュニケーションです。作者の書いた文章であり、フィクションではありますが、登場人物の見ている世界、感じ方、そこから起こした行動を追体験することで、自分の想像力や思考の幅を広げることにつながるのです。

そうして自分の行いを省みているうちに、電車を乗り過ごしてしまいました……。とはいえ、登場人物たちの価値観を通じて想像力を鍛え思考の幅を広げることの大切さを学ぶことができ、貴重な読書経験ができたと思います。

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