コンサルタントコラム

被災地レポート:被災地の光景を忘れない

2011年04月06日

コンサルタント

副島 一也

週末に宮城に行ってまいりました。弊社の社員が宮城の松島出身で、震災後数日間、両親と連絡が取れず、ずっと心配していましたが、おかげさまで無事が確認でき、今回里帰りしました。彼と同行する形で私も今回宮城に入り、現地の新聞社の方との打ち合わせも兼ね、現地の様子を確認してきました。

その様子を簡単にですが、ご報告申し上げます。

<仙台での滞在>

今回、東京から車で高速を使い仙台市に入りました。出来るだけ現地で余計なガソリンを消費しないよう高速の途中で再度満タンにしました。実際現地に入ると、ガソリンスタンドの半分くらいは閉まっていました。営業しているところも、災害支援車両のみ、もしくは事前に配布された整理券をもった車両のみしか入れません。整理券を持っていても長蛇の列になっていました。

仙台市内は比較的問題ない生活をしていると事前に聞いていましたが、仙台駅前のホテルにチェックインしたら、先ず「ガスが復旧していないためお湯が使えません」と言われました。皆さんが数週間苦しんでいる被災地でもちろん不平など言えません。ポットでお湯を沸かしタオルを暖め体を拭きました。それが出来るだけでもありがたいと感じました。

仙台市内飲食店での食事事情ですが、ガスが使えないので閉めているお店も多いです。仙台と言えば「牛タン」、ということでまず行ってみたのですが、こちらはしっかり営業していました。炭火で焼いているので出せるのですね。また、お湯も炭火の網の上で沸かしたり、カセットコンロを持ち出して事業継続やっています。

強いです。

営業していた他の飲食店さんにもいくつか話を聞いてみたのですが、IHコンロを持ち出したり、カセットコンロを持ち出したりしてラーメンやおそばを限定メニューで出しているところもありました。こんな時は暖かい麺類は特に嬉しく感じるものです。お客さんもお店の可能な限りの努力に満足そうです。

しかしながら、お風呂に入れないというのはやはりつらいですね。現地の方々から1週間という単位だと精神的にも大変つらいと話を聞き、たった2,3日で音をあげている自分を恥ずかしく思いました。

<想像を絶する被災地の姿>

さて、翌日から被災地を廻りました。仙台から北上していき、塩釜、東松島、石巻と廻りました。そこで見たものは正直、同じ日本で起きている光景とは思えないものでした。一言でいえば、大がかりな爆撃の後のような感じです。言葉を失います。

火が出たあたりはいまだに焦げ臭く、しかも相当広い範囲で見渡す限り破壊された跡地のようです。

テレビのニュースで、見たり、聞いたりしていて大体分かっていたはずですが、目の当たりにした時の感情は、ただただ恐ろしい、ということでした。

<出来ることをしたい>

東松島市役所や石巻市役所などにも立ち寄りました。土日にも拘わらず、時間も関係なく多くの人が支援活動しています。あらゆる必要なサポートの為に窓口に人がいて優しく声をかけてくれます。

避難所にも立ち寄ってみました。他の県から受付、掃除、医療など多くの支援者が来て活動されていました。何もできず邪魔なだけの自分が情けない限りでした。

申し上げるのも恥ずかしいくらいの支援物資ですが、せめて何か持っていきたいと思い、東京から車に水を詰め込んでいきました。東松島では水道がほぼ復旧したのでもう大丈夫とのことでした。石巻ではまだ水道が復旧せず困っている地区があり、ありがたく使わせていただきたいと市役所で受け付けてくれました。休日の夜の時間帯、みなさん忙しくされているところで、受けとってもらうことが逆に迷惑だったんじゃないかとか考えたりもしました。しかしながら、受け付けて下さった市役所の女性の方は、一緒に車から重い水を運び、すごく丁寧に御礼を言って下さり、対応してくれました。そんな姿に本当に胸がいっぱいになりました。

仙台のアーケードに「私たちは負けない」と大横幕が張ってありました。それは、本当に強い心を持った人たちの大変な戦いなんだと感じます。自分が出来ることをもっともっとやっていきたいと思います。現地の皆さんからは、口々に、「自分たちは頑張っている、こちらの状況を伝えて欲しい、応援してほしい」とのメッセージをいたただきました。

今このメルマガを読んでいただいている方々だけにでもこの想いを何とかお伝えしたいと思った次第です。

来週は宮城で被災されて、それでもBCPを発動して頑張っている企業のお話を伺いに行きます。

こんな時ではありますが、弊社の支援するBCPが益々機能するBCPへ改善を続けられるよう今こそしっかりするべき時と思っています。