コンサルタントコラム

陸前高田を訪れて -避難訓練が命を守った-

2012年12月05日

シニアコンサルタント

吉村 共介

シニアコンサルタント 吉村 共介

こんにちは、コンサルタントの吉村です。

この夏「緑の防潮堤構想」のスタディツアーに参加し、
奇跡の一本松が残る陸前高田市を中心に
津波被災地を詳しく見学し
被災した方々からのお話を伺う機会を持った。

このツアーでは
「膨大な瓦礫を資源として再利用して、
小山の中に埋め込み、深く根を張る
広葉樹を植樹して緑の防潮堤を作ろう」
という構想実現にむけて、現地との交流と
パイロット植樹ボランティアを行った。

Y大学の企画により、9か国の留学生・大学生を含む、
「木を植える」ことに情熱を持つ
シニアなど50名が参加している。

大津波の被災地は、
夏草の緑の中にコンクリートの土台が残り、
ところどころにビルの残骸が立つ廃墟が広がり、
海岸の大量の瓦礫の山は、
瓦礫処理問題の深刻さ物語っており、
復興は10年単位で考える必要があると感じた。

被災された方々の話の中で、
「避難訓練」についての対照的な
二つの話が印象に残ったので、ご紹介したい。

陸前高田市今泉地区は
津波が来たことのない場所だったが、
200年続く醤油醸造業のY商店では、
裏山の神社へ避難する津波訓練を毎月実施していた。

3.11の時東京にいたK社長は
老舗の建物・土蔵が大津波に呑まれる
映像を目にし、ダメだと思った。

悲壮な気持ちで夜を徹して戻った社長は、
社員全員が避難し無事で、
社長の息子が足の不自由な祖母を背負って
神社の階段を駆け上がったことを知った。

神社の急な階段は中腹まで流されている。
日ごろ周囲から白い眼で見られていた訓練が
全員の命を守った。

その後、
Y商店は奇跡的に残っていた麹をもとに、
山形県の協力会社に生産を委託し
事業復旧を果たしている。

石巻市釜谷の北上川の河口から4kmに位置する
新北上大橋に隣接したO小学校では、
74名の児童生徒と10名の教員が
津波に呑まれ帰らぬ人となった。

この学校でお子さんを亡くされた
父母の話によると、
この地区の4つの小学校の中で、
この学校だけが、地震の避難訓練はしていたが
津波の避難訓練はしていなかったという。

この日、校長は不在で
地震後の大津波まで50分あったが、
校庭に集められていた児童生徒は、
川を遡上する津波に呑まれた。

近代的な2階建ての校舎、
校庭と子供たちが描いた世界各国の子供が
手を繋いでいる壁画がむなしく残っていた。

学校のしいたけ栽培をしていた裏山を
10mの高さまで登れば波は来なかったそうである。

橋の近くの土手には
ひまわりの花が並んで植えられ、
水遣りに来られた後、
長面湾に不明者を探しに行かれる方が
今も何人かおられる。
適切な避難経路の確認と避難訓練をしていれば、
この事態は防げたと思われる。

お盆に戻ってきた教師をしている息子に
この話をしてみた。息子の意見は、
「教員の行動は理解できなくはない。
教員は決められたマニュアル以外の行動を
簡単にはとれない。勝手な行動をすると
処罰の対象となり、もしものことが起こると
責任を取らされるからだ。」
とのことだった。

我々が、この2つの避難訓練に関る話から学ぶことは、
「厳しいシナリオを想定し、
緊急時の行動を訓練しておくこと。
リーダーの不在時でも行動出来ること。」
ではないだろうか。

「BCP策定は想定が甘いと、人の命に係わる」、
「事業継続策は周りの支援の中で実現できる」
という事をリマインドし、心を新たにして、
お客様のBCP策定支援事業に臨みたい。