コンサルタントコラム

耳を傾けるということ

2014年02月12日

エグゼクティブコンサルタント

久野 陽一郎

エグゼクティブコンサルタント 久野 陽一郎

みなさん、こんにちは。久野陽一郎です。

2014年になって早1か月半が経ちましたが、
今年は我が母校フロリダ州立大学(FSU)が
アメリカンフットボールで全米を制し、
小職にとって幸先の良い年初になりました。
また今月初旬には
プロのチャンピオンシップである48回スーパーボウルが行われ、
シアトルシーホークスが初優勝に輝きました。
ワシントン州シアトルにプロスポーツチームが優勝旗をもたらしたのは、
シアトルスーパーソニックスが1979年にNBAを制した以来とのことです。

さて、このスーパーボウルを制した
シーホークスのある選手の半生に心を動かされましたので、
本コラムにてご紹介したいと思います。

彼の名は、デリック・コールマン。
カリフォルニア出身の23歳。
183cm、106kgの体躯ですが、他の選手とは異なった特徴があります。
彼は3歳になったある日、突然、耳が聞こえなくなりました。
補聴器をつけていれば、健常者の7~8割ほどの聴覚ですが、
補聴器無しでは、健常者の2割程度しか聞こえないとのことです。
聴覚を失ってからスーパーボウルを制するまでの彼の道のりは、
決して平坦なものではなく、
フットボールを始めた時から、試練の連続でした。

まず、地域の少年チームのコーチたちは彼を受け入れることを渋りました。
どのように彼に接すれば良いか、指導すればわからなかったからです。
それでも彼は、
大好きなフットボールを続けたいという気持ちを訴え、チームに入ります。
しかし、コーチやチームメイトは、耳が聞こえないのでは、
プレイすることはできないと思っていました。
どんなに体が強くても、脚が速くても、
彼が選ばれるのはいつも最後でした。
彼はめげずに中学、高校とプレイを続け、
地元の有名選手として頭角を現して、
フットボールの名門UCLAから奨学金を得るまでに成長しました。
UCLAでもスターターとしてプレイした彼は、
所属カンファレンスのAll 2nd Teamに選出されるほどに。
しかし、プロを志望していた卒業時のドラフトでは、
7巡目48位までに指名されることはありませんでした。

そこでもあきらめなかった彼は、
なんとか、ドラフト外でミネソタバイキングスに滑り込みます。
しかしシーズン開幕前の8月、
1試合も出場することなく戦力外通告を受け、チームを去ることに。
彼は個人でのワークアウトを続け、
同年12月にシーホークスと契約を締結し、
翌13年からのシーズンに挑みます。
そしてプレシーズンマッチ4試合での活躍が認められ、
53番目の選手としてプロ選手としてのキャリアをスタートします。

そしてここから、彼の快進撃が始まったのです。
開幕戦ではベンチスタートだった彼ですが、
3つのプレイを成功させ、コーチから信頼を勝ち取ります。
そして12月のMonday Night Footballでタッチダウンを決め、
さらに彼の半生がテレビコマーシャルでをクローズアップされ、
全米中にその名を轟かせました。
その勢いのまま、彼とシーホークスはプレイオフを勝ち抜き、
スーパーボウルをも制しました。

あるインタビューで、
「耳が聞こえないことで、僕にはアドバンテージがある」
と彼が語っていたことが印象的でした。

「他の選手は、聞こえない環境に慣れていない。
 特に、ここシアトルの大歓声に包まれると、
 他の選手は指示が聞こえず、フラストレーションを感じる。
 でも僕には関係ない。
 だって今までずっと聞こえない中でプレイしてきたからね。
 それともう一つ。
 フットボールを始めてから、
 諦めろとか、もう辞めたらとか、ずっと言われてきた。
 でも、そんな声は一切気にしなかった。
 だって耳が聞こえなかったから。」

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