コンサルタントコラム

3.11 その日の茨城を振り返って

2014年03月12日

コンサルタント

石田 敏之

こんにちは、茨城事業部の石田です。

東日本大震災は、茨城県においても多くの被災をもたらしました。
当時、私はひたちなか市のIT会社に勤務しており、
3.11の日は、
失業者を対象とした基金訓練におけるパソコン教室の管理者として
常陸太田市の自宅からつくば市に出張していました。
地震による大きな被害はなく、16時頃には教室の中止を決定して、
約75Km離れた自宅まで車で帰路につきました。
その時点では東北をはじめ、
大きな被害が出ていることをまだ知りませんでした。
ところが常磐高速道は通行止め、国道6号は大渋滞、
那珂川、久慈川の橋が通行止めになっています。
通常であれば1時間で着く道のりなのに、
内陸部に迂回したこともあり、延々と8時間もかかったでしょうか。
へとへとになって帰宅した時には、すでに0時を回っていました。
勤め先への連絡もようやくつき、
翌週1週間が休業になることになりました。
妻は県内の高校に勤務しているのですが、
勤務先が地域の避難所になり、帰宅できない生徒もいるということで、
対応に追われ、その晩はついに帰ってこれませんでした。
家は停電して真っ暗、情報源はラジオしかありません。
大きな不安に包まれたたまま、その夜は疲れにまかせて就寝しました。

翌日、あらためて家の被害状況を確認すると、
戸棚の人形などが散乱し、壁紙の一部が破損した程度の軽微な被災でした。
しかしインフラはガス(団地内集中プロパン)・水道・電気が止まり、
とても通常の生活を送れる状況ではありません。
これらの復旧には、ガスが翌日、電気が3日目まで待たねばならず、
特に水道が出るようになったのは発災から1週間後でした。
2日目からは町内設置の配水タンクからの給水が開始され、
トイレ用の水は近くの小川の水を利用しました。
また、車の給油にも困りました。
こちらの主な移動手段は車ですが、
数Kmもガソリンスタンドに並んで、
ようやく給油できるのが20Lという状態でした。

情報が入ってくるようになると、施設・設備や交通インフラの被災など、
東北ばかりでなく、県内も大きな被害を被ったことがわかりました。
港湾では津波浸水の被害を受けた地域もあります。
実際に車を走らせると、県西地区まであちこちで屋根が破損し、
ブルーシートで覆った状態がその後2年ほど続いていました。
高速道路や一般国道、橋などでは陥没や段差、破損が発生し、
事務所や工場では建屋の破損や機械の転倒が起こりました。
福島に住んでいた姉は実家の山口に避難することになったのですが、
茨城でも、当時、東海村原発の状況を知らせるニュースから
目を離せなくなりました。
発災後3年を経過し、復興は確実に進んではいますが、
一部の産業活動には深刻な影響が残っています。

茨城県では、震災のあった年の秋より
県内中小企業を対象にBCP策定の支援事業を開始しました。
当事業事務局を受託したニュートン・コンサルティングでは、

  1. BCP策定支援
  2. BCP普及啓発セミナー開催
  3. 団体等におけるBCP関連セミナーへの講師派遣

などを行っています。
平素からBCPを策定しておくことは、
緊急時の備えとして非常に有効であり、
また企業評価の向上にもつながる重要な企業戦略です。
当社がBCP策定を支援した企業数は本年度末で81社を数え、
私もそのうち45社を支援して、
津波によって重機や事務所が浸水被害に遭った企業や、
工作機械が横滑りして修理等に追われた企業の話を多く聞きました。
当支援事業では、
茨城県における3.11の震度よりも大きい震度6強の被害を想定して
BCPを策定するようアドバイスしています。

 

今後30年以内に70%の確率で大地震が発生すると予想されています。
茨城県においても、3.11の時以上の被害が発生すると思われます。
このような災害下においても、
いち早く事業を再開できるようなBCPを
策定するお手伝いをしていきたいと思います。
我が家でも、あの日以来、食料や飲料水の備蓄、
タンスと天井との突っぱり棒の設置、車への早めの給油など、
ささやかながら、早めの予防対策を講じるようになりました。