エグゼクティブコンサルタント
7年に渡り、はるか遠く3億kmの小惑星を探査し帰還したあの「はやぶさ」とは一字違いでもあり、幾多の困難を乗り越えたチャレンジストーリーと満身創痍なイメージに大きな感動を感じています。
私自身のことを申し上げますと、どうも性格として好奇心が強く、約40年間の職業人生で幾つかの異なる職務に、多くは自ら希望して携わってきました。
具体的には、システムズエンジニアから始まり、営業、営業企画マネジャー、プロフェッショナルスキル計画マネジャー、業務改革コンサルタント&プリンシパル、経営品質推進マネジャー、コンサルティング事業部長、(一部上場企業)取締役などの職務に従事しました。
この間の私の一貫した信条が、“担当する職務のプロフェッショナルになる”でしたので、このコラムではプロとしての成長に関連する内容を少しお話させていただきます。
私は、仕事が変わるたびに、頭をぶち当て、躓き、泥まみれの試行錯誤を経ながら仕事のやり方や考え方、コツを学んできました。これは、私の‘やってみて納得したい’という性格によるものかもしれませんが、その結果私には『経験しなければ分からない』という感覚が強いと言えます。確かに多くの人が色々なテーマにおいて『経験しなければ分からない』という主旨を述べていますので、このことは間違ってはいないと思っています。但し、世の中にはなんと『経験しなくても分かる』人がおり、自ら経験することがすべてではないと、考えさせられてもいます。
例えば経営学の学者です。経営学の学者は経営をしたことがないのに、何故、経営者の前で講演ができ、しかも多くの経営者が有難く傾聴し、参考にしているのか?チョット考えると不思議です。しかし、私も著名な学者先生方の講演を何回も聞かせていただき、ハッとする思いや、確かにそうだナという気づきを何度もしました。何故、経営学の学者先生方にはそれが可能なのか?
その理由を私なりに3つ、以下のように考えてみました。
(1) 多くの実践事例を詳細に調査・分析・整理し、価値ある情報を作成している
→ 多くの事例から新たな事実を客観的に提示
(2) 経験が無いので過去の経験にとらわれることなく、論理思考を徹底している
→ 従来の常識にとらわれない斬新な思考が可能
(3) 大きな視野から新たな命題や体系的な考えを抽出している
→ 新たな意味や価値、筋道、全体の枠組みを定義
別の言い方をすると、経営学の学者は自らの経験が無くとも、経営者の実践経験を徹底的に学び、頭の中でシミュレーションすることから、経営の本質を究明していると言えます。疑似体験を数多くこなすことが、‘物事を分かる’、すなわち物事の意味や価値、筋道を腹に落とすことにつながる1つの道なのかもしれません。
経営学者の経験が無い私が‘分かっている’かどうかも心配ですが、皆様はどうお考えでしょうか。
また、『経験しなくても分かる』人がいる一方で、『経験しても分からない』人もいます。例えば、水泳に対する私です。私は小学生以来、長年に渡り水泳をしてきましたが、40歳代後半に腰痛対策として水泳教室に入りました。そこで私に突きつけられた事実は、例えばクロールで連続して泳げる距離は50m位、どんなに頑張っても100mは苦しいということでした。自己流で、力任せで泳ぐので力尽きてしまう訳です。
そこで私は週2回各1時間の水泳教室に何年も通い、クロールの泳ぎ方の基本、例えば水中姿勢、バタ足、手や腕の漕ぎ、呼吸等、を練習しました。水泳コーチは自らやって見せ、それこそ手取り足取りの基本の指導を行った上で、何十回もの25m水泳を私に課しました。そのお陰で、手の使い方や、息の仕方が根本的に間違っていたことに気づき、数年後にはついに1000m以上を泳げるようになりました。私は何十年も泳いできましたが自己流であり、正しい水泳の方法を全く分かっていなかった訳です。
私の水泳のように『経験しても分かっていない』ではなく、『経験し分かる』ためには、単に体を動かしてやっているだけではなく、頭を使うこと、例えば下記(a)(b)(c)を実践することが重要ではないかと思っています。
(a) 物事の基本の基本を理解し、良いモデルを見て学ぶ
(b) 自分の経験や常識にとらわれず、新しい試みに積極的に取り組む
(c) 物事の意味や価値、筋道、全体の枠組みを理解する努力を続ける
つまり、物事を分かる、すなわち物事の意味や価値、筋道を腹に落とす、ためには、
・五感を使い体で感じること・頭脳を使って論理的に考えること
という体と頭の両方の実践が重要と思っています。
これらの点は、市場価値を問われるプロフェッショナルとしての成長のためにも重要と考えています。私自身も現在担当の東京都BCP策定支援事業の職務において、これらの実践を心掛け、疎かにしない所存です。