
先日、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』で次のような記事を見つけました。そろそろ新人受け入れも落ち着き、課題設定に苦慮されている皆さんに示唆に富む内容だったのでご紹介します。
- 【目指すべきは学びではなく居心地の悪さ】
- 「新しい技術に取り組んだり、新しいことに挑戦したりすることで「コンフォートゾーンから抜け出す」というアドバイスは、誰もが耳にしたことがあるだろう。最近の研究の提言は、さらに一歩進んでいる。居心地の悪さを明確な目標にするのだ。そのほうが、学びたいことに焦点を当てるよりも、やる気が出るという。・・・中略・・・。「人はネガティブな経験を機能的なものと解釈し直すと、そうした経験を呼び起こすような課題に積極的に取り組むようになる」と研究者らは説明する。「居心地の悪さを目標とは無関係なもの、あるいはやめる合図ととらえるのではなく、目標に向かって自己成長している証ととらえるようになる」
出典:「目指すべきは学びではなく居心地の悪さ」by『ハーバード・ビジネス・レビュー』/編、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2024年5月号
何でも、劇団員に対して行った実験では即興をしてもらうにあたりその目標として、半数のグループに「気まずくて落ち着かない気分になること」と告げ、残りの半数のグループには「新しいスキルを身につけるのを感じること」だと伝えたところ、前者の目標を与えられたグループの方が、よりリスクをとった即興をやるようになり、かつ上々の成果が見られたそうです。
このような話を聞いて「それは劇団員に対してそのような課題設定をしたからだろ?」「たまたまだろ?」と思った人はいませんか?私も最初はそう思いました。だから気になって元の論文を探し出して読み込んでみました。そうすると実際に行った実験は全部で5つあって(劇団員に対する実験はそのうちの1つ)、そのいずれも似たような結果が出たということがわかりました。その中には例えば「目や耳を背けたくなる銃の暴力に関する記事」を複数用意して、参加者にどのような指示出しをすれば頑張って読んでくれるかを検証したという実験がありました。全参加者に「銃の暴力を理解することが重要」と前置きをしたにもかかわらず、「学んでください」という指示出しをしたグループよりも、「不快感を追求してください」という指示を受けたグループの方が、より多くの銃の暴力に関する記事に触れたといいます。
この論文を読んでハタと思い出したことがあります。私の例で恐縮ですが、大勢の人の前で喋ったり、ファシリテーションをしたりしなければいけない時に「緊張してきた...はぁ、嫌だな」とか「人前に出て喋るなんてきついです」となってしまう仲間に遭遇することがあります。その時によく「緊張の大きさが成長の大きさだよ。慣れてきて緊張感がなくなってくると、それはそれで成長に繋がりにくいから考えものだよ」と、伝えてきました。私自身、自分にそうやっていつも言い聞かせてやってきたことなので、それを本気で信じてそのようなアドバイスをした次第です。この論文の実験結果が示すものは、私のその体感したことと似ているのかも、と思うのです。
さて、この論文の主張から結局何が見えてくるのかというと、ひと言で言えば「人は言い方1つ、捉え方1つで、限界を越えられる」ということだと思います。言い方を変えると、人は無意識に自分で自分の可能性を狭めてしまっているのではないでしょうか。その可能性を狭めている原因は、「常識」であったり、「恥」であったり、「周囲への(必要以上の)気遣い」であったり、「エゴ」であったり、「自分の偏見」であったり、「過度の緊張感」であったり、「自分なりに積み上げてきたロジック」であったり、自分が自分に設定している「勝手な限界点」であったり、自分の「ストレスへの抵抗感」であったり...。そうした狭める原因をひと言で「不快感」と表現しているのだと思います。私たちが無意識に避けたくなるその不快感こそが、実は成長のタネなのだということです。
さらにいうならば、「不快感」があるところは、ある種、みんなが避けようとしがちなエリアなわけです。ということは、自分にとっても他人にとってもブルーオーシャンと言えなくもない。そう考えると、「不快感」には財宝が眠っていると言っても過言ではないかもしれません。
そしてラッキーなことに、そのお宝を手にする簡単な方法があるのです。
「不快感を感じることこそが成長の証しである」
明日から皆さんも、このおまじないを自分に言い聞かせてみてはいかがでしょうか?