
リスクマネジメントの世界にいると、アカデミックな理論を目にする機会が増えてきます。でも、ふと思いませんか?
「その理論、本当に役に立つの?」と。
たとえば、エマージングリスクに関する国際規格に、ISO/TS 31050(※)という「教科書」のような存在があります。ここには、将来的に顕在化する可能性のあるリスクへの対処法が、体系的にまとめられています。
この規格の中で紹介されている考え方のひとつが、「リスクインテリジェンスサイクル」です。このリスクインテリジェンスサイクルは、理論上、次の5つのステップから構成されています。
- フレーミング(どのような変化に備えるべきかを明確にする)
- データ収集(どこにどのような兆候が現れそうかを探る)
- データ分析(集めた情報から意味あるパターンを見出す)
- 解釈(その変化が、自分たちにとって何を意味するかを考える)
- インテリジェンス(最終的にどのような判断や行動に生かすか)
……こうして見ると、少し抽象的すぎて「結局なにをやるの?」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
分かりやすく言い換えれば、まだ見えないリスクの“方角”にアンテナを立てて、日頃から小さな変化を捉える体制をつくっておこうという考え方です。
これが、リスクインテリジェンスサイクルの本質です。
例えば、私のクライアントの一社に、家庭用食品を製造販売しているメーカーがあります。
この企業では、主力商品に使用している特定原料が、環境法規制の強化などをきっかけに、将来的に恒常的な調達が困難になる可能性があるという危機感を抱いていました。
こうした状況で重要になるのは「主力製品を駆逐しかねないエマージングリスクを、どうやって早期にキャッチし、どう適切に対応していくのか」という問いです。
ISO/TS 31050の教科書的な説明に従えば、こうした問いに対しては、リスクインテリジェンスサイクルに沿って、次のような観点から考えていくべきだとされています。
- 「その原料の使用が禁止されるとしたら、どのような背景や文脈があるのか?」
- 「その変化は、いつ・どこで・誰によって引き起こされる可能性があるのか?」(例:消費者意識の変化、海外規制の強化など)
- 「その兆候をいち早く察知するには、どのような情報源をウォッチしておけばよいのか?」(例:各国の省庁の発表、学術研究、NGOの活動など)
- 「兆候を捉えたとき、誰がどのように影響評価を行うのか?」
- 「脅威として確定する前段階で、どのような段階的対応策をとるべきか?」(例:代替原料の検討、工程変更の準備など)
これらを“なんとなく”で対応するのではなく、意識的かつ構造的に扱えるようにすることこそが、ISO/TS 31050が目指す方向性です。
さて、ここまで読まれて「その理論って、実際の現場でどこまで役に立つのか?」と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
私の答えは、こうです。
理論だけを何も考えずに実践するだけでは、ほぼ役に立ちません。
しかし、「メインではなく、あくまで活動をアシストするツール」という意識で、勘どころを押さえて使えば、十分に役に立つと私は思っています。
一方、こう感じられた方もいるのではないでしょうか。
「エマージングリスクの理論や理想はなんとなく分かったけど、抽象的すぎてまだピンとこない。現実の話としてどう役に立つのか、そこまでは見えていない」と。
そこで、ひとつご紹介したい記事があります。
ちょうど最近、
『インテルが見落としたエマージングリスク:なぜ教訓は生かされなかったのか』
というコラム(ニュートン・ボイス)を執筆しました。
この実例を通じて、教科書の理論が「どこで、どのように使われなかったか」、そして「それがどのような結果を招いたのか」を見ていただければ、きっと本稿でお伝えしたことの意味をより深く理解いただけるはずです。
それでは、ごきげんよう。
※ISO/TS 31050:2023リスクマネジメント-レジリエンスを強化するためのエマージングリスクマネジメントのガイドライン。ガイドラインの解説についてはこちらをご参照ください。