
今日は、最近読んだ2冊の本についてお話ししたいと思います。いずれも、私たちが日常や仕事の場面で直面する「ミスコミュニケーション」という現象を、科学的な視点から解き明かしてくれる本です。もし今回のお話に興味を持たれた方は、ぜひ書籍の方も実際に手に取ってみてください。日常や職場でのやり取りが、今までとは違った視点で見えてくるはずです。
「伝わらない理由」と「ミスの理由」を解き明かす2冊
今回ご紹介するのは、次の2冊です。
1冊目は今井むつみ著『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』。
2冊目は榎本博明著『なぜあの人は同じミスを何度もするのか』。
タイトルからして印象的で、日常や職場での「どうして伝わらないの?」という疑問に、認知科学や心理学の知見を踏まえて答えを与えてくれます。
なぜミスコミュニケーションが起こるのか
2冊を読み進めてまず感じるのは、「ミスが起こらない方がおかしい」という前提です。これは、人間の脳が情報を処理する仕組みに由来します。
パソコンを例にすると、コンピューターはデータをZIPやLZHなど決まった形式で圧縮し、誰が解凍しても同じデータが再現されます。
一方、人間の脳は、見たものをそのまま記録するのではなく、容量や処理能力の制限のため、大幅に圧縮して記憶します。そして、その圧縮の方法は、人によって異なります。同じ出来事でも、100人いれば100通りの記憶の「フォーマット」が存在するため、後で情報を照合しようとしても一致しにくいのです。
人の記憶の圧縮のメカニズムとは
では、なぜ情報を圧縮しなければならないのでしょうか。見たものを丸ごと保存できれば、最も正確ではないかと思うかもしれません。
実際には、脳には容量と処理能力の両方に限界があります。
今井先生はこの点をわかりやすく説明するために、「一説によれば、人の記憶容量は1GB程度らしい」と述べています。これはあくまでも一説ですが、記憶能力ならコンピューターの方がはるかに優れているという事はよく理解できますね。
処理能力についても、パソコンをイメージするとよく理解できます。パソコンで大量のデータを圧縮せずにそのまま処理しようとすると、動作が極端に遅くなったり、場合によってはフリーズしたりしてしまいます。人間の脳も同様で、情報を圧縮せずにすべてを同時に扱おうとすると、判断や意思決定の場面で思考が停止し、適切な行動が取れない状態に陥ります。
具体例で見る「スキーマ」の違い
人によって圧縮の仕方が異なる理由は、情報が「その人の感じた印象」に基づいて符号化(encoding)されるからです。印象は、その人の価値観や感情、過去の経験などに左右されます。今井先生は、この圧縮の枠組みを「スキーマ(schema)」と呼びます。
例えば、「丸が2つあり、その間を短い棒でつないだ図」を見せられたとします。
Aさんはそれを「メガネ」と認識し、「メガネのような形の図」として記憶します。
Bさんはそれを「鉄アレイ」と認識し、「鉄アレイのような図」として記憶します。
数日後、「あの時の図を描いてください」と言われると、Aさんはメガネ寄りの図を、Bさんは鉄アレイ寄りの図を描きます。
このように、記憶は入力(符号化)される段階から主観的な解釈が入り込み、保存や再生の際にも影響を受けます。結果として、100人いれば100通りの記憶が形成されるのです。もちろん、同じ文化や似た経験を持つ人同士では、スキーマの一部が共通する場合もあります。
メカニズムがわかると見えてくること
この仕組みを理解すると、多くの現象が説明できます。榎本先生は次のように述べています。
「(ガラス越しにマネキンがいる場面を)カメラで、写せばマネキンと自分の姿が二重写しで撮影されているはずであり、網膜にも二重写しで写っているはずである。でも、私たちは、特に関心のある刺激、自分にとって意味があると思われる刺激に絞って知覚する。つまり、近くには能動的な取捨選択が伴うのだ」(『なぜあの人は同じミスを何度もするのか』より)
これは、心理学でいう「選択的注意(selective attention)」の一例ですが、これも見ている人の主観によって、見え方や記憶の残り方が違うことを証明するものです。
ビジネスシーンで頻発するミスコミュニケーション
職場でのやり取りも、この「主観を含んだスキーマ」に基づいて行われています。
例えば、「先ほどの打ち合わせで約束したタスクを、なる早でやっておいて」と言えば、ある人は当日中に対応し、別の人は1週間後に着手するかもしれません。
また「なんとしてでも売上目標を達成しよう」と言えば、ある人は「可能な限り頑張る」という意味に解釈して残業を増やすでしょうし、別の人は「いかなる手段を使っても」という意味に捉え、ルールを破ってでも達成を目指すかもしれません。
かく言う私も、ビジネスはもちろん、プライベートでもミスコミュニケーションは日常茶飯事です。
原理がわかったところで、どうすればいいのか。こうした主観的な圧縮による誤解を防ぐためには、
- 自分の説明を相手の言葉で言い直してもらう(バックトランスレーション)
- 抽象的な表現を避け、具体的な言語化を心がける
- 繰り返し確認や対話を行う
などが有効です。
しかし最も重要なのは、「脳のメカニズム上、ミスコミュニケーションはむしろ、起こって当たり前である」という前提を理解し、共有しておくことです。この前提を持てば、不要な苛立ちや責め合いを減らせます。
当然ながら、組織のリスクマネジメントという文脈でも同じことがいえるでしょう。組織には多様な背景の人が集まっています。それぞれリスク感度も理解度も違うわけですから、誤解を避けるための工夫は惜しまないようにしたいものですね。