リスク認知
掲載:2021年04月14日
執筆者:シニアコンサルタント 日下 茜
用語集
リスク認知とは「リスクに関するステークホルダーの見解」※を言います。「リスクに関するステークホルダー」とは、そのリスクの影響を受ける可能性がある人・組織を指します。また「見解」とは、リスクに対する意見や捉え方であり、これはその人・組織が持つ信条や価値観などによって変わってきます。例えば、明日ゴルフへ行く予定があり、前日の天気予報で30%の降水確率が発表されていたとします。ゴルフに参加予定の人たちはステークホルダーであり、「なんだ、それくらいなら雨は降らない可能性もありそうだし、仮に降ったとしても我慢できるや」と思うAさんと、「えっ、濡れるのは不快だし、嫌だな。降らない可能性もあるけれど、一応、傘は持っていこう」と思うBさんと、このように同じリスクでも捉え方の違いがあります。こうしたAさんやBさんのように主観の入った捉え方をリスク認知と言います。ちなみにリスク認知と類似した用語として「リスク感度」があります。この2つは同義だと思ってもいいでしょう。
※ISO Guide 73:2009 3.2.1.2「リスク認知」より
リスク認知がなぜ大事なのか
リスク認知はとても重要です。なぜなら、リスクアセスメント(リスク特定・リスク分析・リスク評価)の1プロセスである「リスク特定」に大きな影響を与えるものだからです。そもそもリスク認知は、先述の通り、その人のニーズ、思想、知識、信条および価値観に大きく左右されるため、同じリスクであっても人によって捉え方が異なります。言い換えれば、リスク認知が異なったままだと、同じ事象をリスクとして特定できる人とそうでない人が出てきてしまいます。組織においてこれは望ましい姿ではありません。
リスク認知がずれることによる弊害は、2つあります。 1つ目は、リスクをリスクとして捉えきれなかったり、捉えたとしてもリスクを過小視して、事前に適切な対策を打てなかったりすることです。未来に起こりうる重大事故や組織の存続を脅かす危機の予防や抑止の妨げになります。 2つ目は、同じ理由から、インシデントや重大事故が起きた時の対応が遅れ適切な対応ができなくなることです。例えば、2016年神戸製鋼所で起きた品質検査データ改ざん問題では、従業員の品質保証への意識が鈍麻していたことが一因でした。また2018年の雪印メグミルクの連結子会社である雪印種苗による品種偽装問題では、業務に対する知識不足からリスクを見抜くことができなかったと言われています。こうした原因の一端はリスク認知のズレにあったと言えるでしょう。
リスク認知を阻害する認知バイアス
ニーズ、思想、知識、信条および価値観とはまた別のもので、リスク認知に、不合理な形で大きな影響を与える因子があります。それが認知バイアスです。認知バイアスとは、判断において規範や合理性から逸脱する心理現象のことです。認知バイアスがあると、本来であれば合理的に考えて大きなリスクとして認識すべきものが、そのように捉えられなくなる可能性が出てきます。
例えば、認知バイアスの代表的なものに「現状維持バイアス」があります。これは大きな変化や未知のものを避け、現状を維持したくなる心理現象のことです。どういうことかと言いますと、「現状を変えることによるリスク」と「 現状を変えないことによるリスク」が本来はどちらも同じ大きさであったとしても、心理的には「現状を変えることによるリスク > 現状を変えないことによるリスク」となってしまいがちである心理的傾向を言います。
このほか、リスク認知に関するバイアスはたくさんありますが、代表的なものは下記の通りです。
①正常性バイアス
異常事態が起きた場合、心理的な安定を保とうとして「これは正常な範囲内だ」と、事態を過小評価するバイアスです。例えば平成30年7月の西日本豪雨では、堤防が決壊して周辺家屋の浸水被害が発生しているにも関わらず、住民の多くが「自分の家に影響はない」と思い込み、多くの死者が出ました。正常性バイアスの詳細については、こちらの記事をご参照ください。
②楽観主義バイアス
自分の都合の良いようにリスクを歪めることで過大もしくは過小評価するバイアスです。例えば、地震が起きた際に、大きく揺れていても「自分だけは安全だ」と思い込んで適切な避難行動を取らないことがありますが、これは楽観主義バイアスによるものです。
③カタストロフィー・バイアス
極めて稀にしか起きないことでも、リスクが顕在化すれば大きな影響をもたらすと考えて過大評価するバイアスです。これは、富士山の噴火や大規模地震などめったに起きないリスクに対して、過大視してしまうものです。ただ、熊本地震は30年間でM7.0以上の地震が起きる確率は0~0.9%と考えられていた中で起きました。カタストロフィー・バイアスかどうかの判断は難しく、そのため最近では発生可能性が低いリスクであっても、リスクが発生した時の影響の大きさを考えて適切に評価することが重要になっています。
④ベテラン・バイアス
これまで経験したことが無いリスクであっても、すでに経験した事があるリスクと同じと考えて正確なリスク評価ができなくなるバイアスです。リスク認知にはリスクを経験しているかどうかにも左右されます。例えば過去に起きたミスや失敗に対して、前にも起きたことなので今回も同じだろうと経験的判断から過小評価をしてしまう恐れがある場合を指します。
⑤バージン・バイアス
④のベテラン・バイアスの反対で、リスクに対して未経験であるがゆえに、リスクを過大あるいは過小に評価して正確なリスク評価ができないバイアスです。例えば、これまで内部犯行による情報漏えいが起きたことがない組織の場合、内部犯行のリスクが高いにも関わらず、管理体制の向上に意識が向かない場合があります。
リスク認知のズレを直す方法
ではリスク認知を組織にとって望ましい状態にするにはどうしたらいいでしょうか? リスク認知は、先述の通り、その人のニーズ、思想、知識、信条および価値観に大きく左右されるものであるため、組織において日頃から、次のような点についてすり合わせをしておく必要があります。
- 何が大切なのか?何を守りたいのか?何を達成したいのか?
- どんなものが自分たちの組織にとってはリスクなのか?
- 大きいリスクとは具体的にどんなものか?
- どんなリスクなら無視してもいいのか?
- 業界内でどのようなものがリスクとして捉えられているのか?
- この組織 ・事業では、リスクを積極的にとるのか、とらないのか?
では具体的にどんな手段があるのか? リスク認知のズレを補正したり、リスク感度を高めたりするには、以下のような方法があります。
危機意識を醸成する仕掛けを作る
「このような事態/事象が起きたら自社は終わりだ。最悪な事態が起きてしまう」と危機意識を醸成するため、例えば実際にリスクが顕在化した場合、どうなるかを訓練やディスカッション形式でシミュレーションします。
リスクの種類を知ることでリスクに関する知識を増やす
組織によって異なりますが、リスクはいくつかの種類に分けることができます(例:コンプライアンスリスク、財務リスク、戦略リスク、オペレーショナルリスク等)。リスクの種類を知ることで「これはリスクだ」と判断しやすくなります。
リスク発見技法の学習をする
「こうやって捉えると隠れたリスクが見えてくるかも」というリスク発見技法を身につけます。自社事故・他社事故を自分のリスクに結びつける練習やその他いろいろなリスク発見手法の習得を推進します。
リスク検討時間を増やす
「今からやろうとしていることにリスクはないか?」という時間をそもそも確保します。例えば、日常生活のあらゆる場面においてリスクがあるかを考える癖をつけることで、リスクを認識することができるようになります。
リスク認知を組織にとって望ましい状態にすることは、リスクを素早く検知するために重要ですが、個人任せにしてしまうと、本人の知識や経験値、その時の状況等に左右されてしまいます。まずは組織として一人ひとりのリスク感度を高めることに注力し、リスクを認識できるようになることが大事故を防ぐための第一歩になります。
参考文献
- ISO Guide 73:2009
- 岡本浩一他『リスク・マネジメントの心理学』新曜社(2004年)
- 岡本浩一『リスク心理学入門』サイエンス社(2000年)
- 勝俣良介『世界一わかりやすい リスクマネジメント集中講座』オーム社(2017年)
- 株式会社神戸製鋼所『当社グループにおける不適切行為に関する報告書』(2018年)