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災害時における正常性バイアス

掲載:2019年12月16日

コラム

正常性バイアスとは「正常化の偏見」と呼ばれる心理学用語の一つで、予期しない事態に対峙した際に、「ありえない」「考えたくない」という心理状況に陥りやすい人間の特性のことを指します。正常性バイアスが働くと、予期しない事態が発生しても、自身が直面している状況が日常とさほど変わらない状態(正常な状態)であると半ば自動的に認識しようとします。

         

正常性バイアスの本来の効果

人間の脳には心の平安を守る防御作用が元々備わっており、正常性バイアスもその防御作用の一種です。ストレスを回避するために自動的に機能するもので、誰しもが持ち合わせています。

正常性バイアスは日常生活の中で生じる様々な変化や新しい出来事に対して心が過剰に反応して疲弊しないために必要な働きであり、本来であれば心を平静に保つという点では有効な機能とも言えます。

例えば、巨大地震はいつどこで発生してもおかしくないと言われており、様々な被災想定をテレビのニュースやインターネット等で目にする機会も多いと思います。だからといって、全く外に出ないようにしたり、常に防災用具やヘルメットを身につけたりするような人はいないでしょう。勿論、日頃の備えは重要です。ただ、いつ発生するか分からない事象に対して過剰に反応していては、そもそも日常生活を送ることが困難になってしまいます。普段から感じられる変化や情報に対し、極端な不安やストレスを感じず、歪んだ捉え方をしないために、正常性バイアスの防御作用は有効です。

正常性バイアスの危険性

しかし、災害時などの非常時にこの防御作用が働いてしまうと、本来であれば「危険な状態」と判断すべき事象を「大きな問題ではない」と誤認する恐れがあります。

例えば、自分がいる建物内で火災報知器が作動した場合に「きっと故障だろう」「訓練だろう」と、正常性バイアスによって都合の良い解釈をする恐れがあります。つまり火災発生という非常事態であると判断するのではなく、日常と変わらない状況であるという捻じ曲がった解釈をしてしまうのです。これは、頭では逃げるべきだとわかっていても、実際には逃げようとしないという矛盾を解消するため、心の中に「逃げないための理由」が無意識に生み出されるからです。こういった正常性バイアスの発動により、火災に巻き込まれてしまうという最悪の事態に発展する危険性があります。

正常性バイアスによって引き起こされた事例

正常性バイアスにより被害が拡大した事例としては、2003年に韓国の大邱(テグ)広域市で発生した「大邱地下鉄放火事件」が挙げられます。乗客の放火により車両内で火災が発生し、運転士や司令室の判断ミス、車両や駅の閉鎖的な構造などの問題が重なり、死者192名、負傷者146名という大惨事となりました。

鉄道会社による誘導の遅れや車両の設備不備などが被害拡大の大きな要因ですが、乗客が進んで避難しようとしなかったことも影響したと言われています。事件当時の車内の様子を写した写真では、煙が充満している車内で、多くの乗客が口や鼻を押さえたまま座っている状況が確認できます。つまり、煙が充満しているという異常事態にも関わらず、乗客は避難せずに座ったまま待機していたのです。

これらの様子から「自分がそんな危険な状態に置かれているわけがない」「周りの人も避難していないから大丈夫だろう」といった正常性バイアスによる思い込みも、避難を遅らせた要因だと考えられています。

2019年台風19号の宮城県丸森町の被害の様子

また近年は日本国内で台風や大雨による被害が多発しており、その度に避難に関する通達や情報が発信されています。しかし、避難勧告等が発令されても実際に避難する人は少ないのが実情です。

避難をしなかった主だった理由としては「以前に避難勧告が出された時も自分は一度も被害に遭わなかった」、「近隣の人も避難していないから」等が挙げられています。経験則による判断とも言えますが、前回は問題がなかったとしても、今回も同様に問題ないという確証はありません。また自身の身近にいる方が常に正しい判断をしていると断言できる根拠はないでしょう。

何かしらの根拠ではなく、上記のような理由を「避難しない理由」として選択することにも、正常性バイアスによる影響が及んでいると考えられます。

正常性バイアスへの対策

正常性バイアスによる状況の誤認を防ぐために重要なことがあります。それは災害に対する訓練等を通じて、「こういった事態に直面したらこのように行動する」という認識を身体にインプットすることです。

東日本大震災当時の岩手県釜石市の様子

東日本大震災の際、津波による被害に見舞われた岩手県釜石市における小中学生の生存率は99.8%と非常に高いものでした。これは、「津波てんでんこ」(「津波の恐れがある時は、各自てんでばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ」という考え方)に代表される昔から継承されてきた防災意識に加え、繰り返し防災教育が行われてきた成果と言われています。

また実際の避難時には点呼よりも逃げることを優先し、教職員や児童・生徒が進んで声掛けや避難活動を開始したことも大きく影響しました。誰かが避難を声高に訴えたり、実際に避難を始めたりすると、周囲にいる人に「今は避難する必要があるくらい危険な状態なのだ」と強く訴求できます。集団心理の一種とも言えますが、一人が活動を開始すると、その行動は周囲の人たちに伝播し、結果として全員が危機意識を持って避難するという行動につながりやすくなります。

災害時に自ら率先して危険を避ける行動や避難を開始できる人を「率先避難者」と呼びます。非常時には自ら率先避難者になろうと心がけることが、正常性バイアスによる状況の誤認を防ぐ術になると考えられます。

避難訓練にも盛り込んで

会社のような組織の中にも率先避難者のような呼びかけ役となる人がいると、組織全体で正常性バイアスが働いてしまうことを防ぐことにつながるでしょう。しかし、率先避難者は防災意識が高い人がなりやすく、逆にそうでない方は率先避難者にはなりえません。そもそも率先避難者になりえる人が組織内にいないということもありえるかと思います。

その場合は避難訓練等を実施する際に、「率先避難者役」を設けてみることを推奨します。訓練内の役にすぎませんが、「災害発生時に必要な行動を誰よりも早く開始する」ことを意識してもらうきっかけになるほか、呼び掛けの際の工夫点や、避難時の注意点などを発見する機会にもなります。

さらに率先避難者の役目は交代制で行ってみると良いでしょう。率先避難者になりえる人がいつも社内にいるとは限りません。社内にいる誰もが、いざという時には周りへの呼びかけができるという体制を整えておくことで、正常性バイアスの発生を防ぎやすくなると考えられます。

また過去の経験則による誤った判断を防ぐために、実際に発生した災害事例を知識として周知することも重要です。個人が自身の経験で網羅できる情報は限られており、数十年に一度や百年に一度の規模の災害に対しては、過去の歴史から情報を得ることが有効です。

多くの地域で過去の災害データや被害想定を基に作成されたハザードマップが用意されてり、各自治体のHP等で確認することが可能です。会社近辺や社員の自宅周辺のハザードマップを訓練前や訓練後に配布して、その地域が持つ危険性を認識してもらうのも良いでしょう。自身が住んでいる地域に潜む危険性を知ることから芽生える意識もあるかと思われます。

こと非常事態においては、普段通りの思考や判断が難しく、正常性バイアスのような心理的作用が過剰に機能しやすくなってしまいます。それをあらかじめ認知し、自分が率先避難者となることを心がけること、そして非常時には自身の経験したことがないことが簡単に起こりえるということを認識しておくことが、正常性バイアスを踏まえた防災対策となるでしょう。

【参考文献】
  • 広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』(集英社、2004年1月21日第1刷発行)
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