経営戦略に活かすポジティブリスク:攻めのリスクマネジメント実践法
執筆者: | チーフコンサルタント 山本 真衣 |

企業が持続的な成長を実現するためには、従来の「守り」のリスクマネジメントから、機会を創出する「攻め」のリスクマネジメントへの変革が不可欠です。これは、近年ますます複雑化・不確実化する経営環境が背景にあります。
地政学的リスクや気候変動、AI等の技術革新により、企業経営を取り巻く環境は不確実性と複雑性を増しています。例えば、世界経済フォーラムの「グローバルリスク報告書2024」では、今後2年間で最も深刻なリスクとして「異常気象」などと並び「AIが生成する偽情報・誤情報」が挙げられており、技術革新がもたらすリスクと機会の振れ幅はかつてなく大きくなっています。
このような経営環境において、リスクを抑制しつつ機会を最大化するには、どのような打ち手が必要なのでしょうか。本稿では、その鍵となる「攻め」のリスクマネジメントの要諦と具体的な実践方法を解説します。
なぜ、今「攻め」のリスクマネジメントへの転換が求められるのか
従来のリスクマネジメントは、地震やシステム障害、コンプライアンス違反といった、事業継続や企業のレピュテーションを脅かす損失や損害、すなわちネガティブリスクへの対応に経営資源が集中する傾向がありました。しかし昨今においては、変化のスピードに対応できず、潜在的なビジネス機会を見過ごすこと自体が企業にとって致命的な機会損失となり得ます。変化の激しい現代においては先行して取り組み、競争優位性を確保することが成長の源泉となるからです。
そのためには、ポジティブリスクを積極的に捉え、事業戦略に組み込むことが欠かせません。ここで参考になるのが、米国で策定されたCOSO-ERM(全社的リスクマネジメント)です。このフレームワークは、リスクマネジメントの目的を「価値の創造、維持、実現」に置いています。ポジティブリスクの特定と活用は、この「価値の創造」に直接的に貢献する活動と位置づけることができるでしょう。
そもそも、ポジティブリスクとは?
ポジティブリスクとは、「不確実性が組織の目標達成に対して好ましい影響を与える可能性」を指します。言い換えるならば、企業の収益拡大や価値向上に影響を与える可能性のある事象がポジティブリスクに該当します。具体的な例としては、競合他社の撤退や新技術の実用化、規制緩和による新規事業参入のチャンスなどが挙げられるでしょう。
ポジティブリスクは戦略リスクの領域に限定されると考えられがちですが、そうではありません。実際には、日々の業務遂行に関わるオペレーショナルリスクや、法規制遵守を目的とするコンプライアンスリスクの領域にも、ポジティブリスクは潜んでいます。
表 リスクカテゴリ別のポジティブリスクの具体例と創出価値(機会)のイメージ
リスクカテゴリ | ポジティブリスクの具体例 | 創出される価値(機会) |
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戦略リスク |
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オペレーショナルリスク |
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コンプライアンスリスク |
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財務リスク |
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例えばオペレーションにおいては、業務プロセスの見直し等から予期せぬ効率化やパフォーマンス向上が生まれることがありますし、コンプライアンスにおいても、基準の先取りや遵守プロセス自体の改善が、レピュテーションの向上や競争優位性に繋がる可能性があります。
したがって、リスクを包括的に管理し組織価値を最大化するためには、戦略レベルの大きな機会だけでなく、こうした日々の業務領域に潜むポジティブな可能性にも着目し、それを活かす視点が重要となります。ここで、こうした視点を体現した企業の事例を見てみましょう。
【事例1:株式会社村田製作所:コンプライアンスリスクの機会への転換】
電子部品大手の村田製作所は、2000年代の欧州における化学物質規制(RoHS指令)の強化を、単なる「コンプライアンス対応コスト(脅威)」とは捉えませんでした。
同社は、この規制を「自社の品質と技術力を証明する好機」と再定義し、他社に先駆けて対応しました。その結果、厳しい基準をクリアした「クリーンな部品」はグローバルメーカーから高く評価され、受注拡大と競争優位性の強化につながりました。規制遵守という守りの活動を、ブランド価値向上という価値創造の機会に繋げることができたのです。
【事例2:株式会社セブン-イレブン・ジャパン:オペレーショナルリスクを成長機会へ転換】
日々の事業運営においてセブン-イレブン・ジャパンは、コンビニ経営の根幹を揺るがす「食品ロス」と「機会損失(品切れ)」という、二律背反のオペレーショナルリスクに直面していました。
しかし同社は、これを単なるコストとは捉えず、情報システムへの投資によって「需要を正確に予測する機会」へと変換しました。POSシステムで収集した販売データと顧客情報を緻密に分析する「単品管理」の仕組みを構築したことにより、食品ロスの削減に加え、「個店ごと・時間帯ごとの最適な品揃え」を実現し、売り上げと顧客満足度を最大化する強力な競争優位性を確立したのです。
日々のオペレーション課題への対応が、結果として同社の強みである「データ経営」の基盤を創り上げた事例といえるでしょう。
このように、「コンプライアンスリスク」や「オペレーショナルリスク」領域においても、ポジティブリスクは遍在します。重要なのは、変化を脅威としてのみ捉えるのではなく、その中に潜在する価値創造の機会を見出す戦略的視点なのです。
では、どうすればその「価値創造の機会」を組織的に見つけ出すことができるのでしょうか。
どうすれば、ポジティブリスクを特定し、「攻め」のリスクマネジメントができるのか
ポジティブリスクは、ネガティブリスクのように明確なアラートを発することはありません。そのため、組織全体で「これはチャンスかもしれない」というアンテナを張り、潜在的な機会を意識的に見出し、価値創造へと繋げるための仕組みを戦略的に構築することが求められます。
例えば、COSO-ERMの考え方はシンプルです。機会の特定は、脅威を特定するプロセスと何ら変わりません。重要なのは、内部および外部環境を分析する際に、「潜在的なプラスの影響をもたらしうる変化や出来事にも注意を払う」という視点を加えることなのです。
つまり、重要なのは視点を広げたり、巻き込む相手を増やすことであり、既存のリスクアセスメントのプロセスを抜本的に変えたりすることではありません。
以下に、従来の「守り」のリスクマネジメントから「攻め」のリスクマネジメントへと転換させるための具体的な勘所を解説します。
勘所①:多様な視点を取り込み、新たな機会を発見する
新たな機会を発見するには、組織横断的な議論が不可欠です。例えば、部門横断ワークショップを開催し、次のようなテーマでディスカッションを実施することで、特定の部門や階層の視点では発見できなかった機会を特定することが期待できます。
- もし〇〇という技術が実用化された場合、どのような新規事業が考えられるか
- 自組織の特徴や強みは何か。その強みを活かして、新たな価値を創造できる分野は何があるか
また、リスクマネジメントの推進体制を見直すことも有効な手段です。自組織のリスクマネジメント推進体制には、戦略策定プロセスに精通したメンバーが関わっているでしょうか。ポジティブリスクは組織の目指す方向や戦略と不可分なため、「攻め」のリスクマネジメントを推進するにあたっては、経営企画部などのメンバーを巻き込む体制に拡充していくことが望ましいでしょう。
勘所②:外部環境の変化をいち早く捉え、自組織の潜在的成長機会を特定する
外部環境の変化を組織の戦略に取り入れるためには、日々のニュースや業界動向の表層をなぞるだけでなく、その背景や社会全体の価値観の変化を深く理解することが求められます。具体的には、市場調査機関のレポートを読み解いたり、業界のキーパーソンとの対話の機会を設けたりするなど、外部環境の変化を多角的に捉え、戦略的意思決定に活かすための仕組みを設ける必要があります。
例えば、戦略策定のタイミングで次のようなテーマでディスカッションをしてみると、自組織に影響を及ぼす外部環境変化を把握する手がかりを得られるのではないでしょうか。
- 最近の業界ニュースや顧客からのフィードバックなどで、「これは放っておけないな」「何か対応が必要かもしれない」と感じた変化や情報はなかったか。それは、どのようなリスク(脅威・機会)に結びつく可能性があるか。
- 最近の他業界や海外の動き、あるいは社会全体のトレンドの中で、「これまで自分たちの業界では考えられなかったような新しい出来事や変化」で気になるものはなかったか。
現在、自組織ではPESTELO分析(政治・経済・社会・技術・環境・法律・組織倫理の観点から外部環境を分析する手法)などで特定した外部環境の変化の兆しを、単なる脅威としてだけでなく、新たな飛躍のチャンスとして捉えられているでしょうか?これらの問いを通じて、潜在的なチャンスを再評価してみてはいかがでしょうか。
勘所③:自組織の内部環境を分析し、強みを再認識する
ポジティブリスクを特定するには、自組織の強みを「当たり前のもの」として見過ごさないことが肝要です。自組織が持つ技術やノウハウ、顧客基盤などの内部リソースは、新たな価値を生み出す源泉となり得ます。これらの強みを改めて洗い出し、既存の事業領域以外への応用可能性や、新たな組み合わせによるイノベーションの可能性を探ることで、ポジティブリスクを発見することができます。
具体的な手段としては、社内アイディアコンテストの実施や、部門間の人材交流などが挙げられます。
勘所④:過去の成功・失敗経験から学び、機会につながる成功パターンを導き出す
ポジティブリスクを特定するヒントは、過去の経験にも潜んでいます。過去に成功した施策やプロジェクトを振り返ることで、再現性のある成功パターンを見出すことができるかもしれません。
加えて、過去の失敗経験を分析することで、「あの時、〇〇という視点があれば成功したかもしれない」「この失敗から、△△という新たなニーズが見えてきた」といった教訓を引き出すこともできます。
実際に、リスクマネジメントの国際規格であるISO31000においても、リスク対応の実施と学習の重要性が強調されています。失敗経験を組織の知識として蓄積・活用することで、新たなポジティブリスクの発見につながります。
特定されたポジティブリスクを活用するには
ポジティブリスクを特定した後は、それがもたらす潜在的なリターンと、それに伴う実現可能性、必要となる投資額などを総合的に評価し、限られた経営資源を戦略的に配分する決断が求められます。たとえ、短期的な収益に直結しない場合でも、将来の競争優位性を確立するために不可欠な機会であれば、大胆な投資も視野に入れるべきでしょう。
こうした意思決定の拠り所となるのが、取締役会が設定する「リスクアペタイト(事業目標達成のため、進んで受け入れるリスクの種類と量)」です。どの程度の不確実性を受け入れ、どのような機会を追求するのかを全社的な方針として明確にすることで、現場の社員も自信を持ってポジティブリスクへの挑戦を進めることができます。
さらに、新規事業への進出は、資金繰りの悪化や風評リスクの発生といった新たなネガティブリスクを伴う可能性があるため、ポジティブリスクとネガティブリスクを個別に対処するのではなく、両者を統合的に評価し、シナリオ分析やSWOT分析(自社の強み・弱み・機会・脅威を分析する手法)などの深堀りを通じて、複合的なリスクへの対応策を事前に検討しておく必要があります。
そして、ポジティブリスクへの挑戦を積極的に評価し、成功事例を組織全体で共有・表彰する文化を醸成することが、従業員のモチベーションを高め、組織全体の成長意欲を喚起する上で不可欠です。失敗を過度に責めるのではなく、そこから得られた学びを共有し、次の挑戦に活かす組織風土醸成が求められます。
リスクを「攻め」の視点で捉え、持続的な成長を実現するために
ポジティブリスクを活用した「攻め」のリスクマネジメントとは、不確実性を単なる脅威ではなく企業価値創造の源泉と捉え直し、全社的な仕組みとして経営戦略に組み込むことです。
リスクマネジメントは、単なる損失回避の活動ではなく、企業価値創造のための重要な経営プロセスの一部です。ポジティブリスクを積極的に捉え、活用していくことは、不確実な時代を生き抜くための企業の競争力を高める上で不可欠です。
本稿で解説した視点やアプローチが、貴社のリスクマネジメントを、守りから価値創造へと飛躍させる一助となれば幸いです。