
2025年7月30日、午前8時24分(日本時間)、ロシア・カムチャツカ半島沖でマグニチュード8.8(Mw8.8)の巨大地震が発生しました。震源から約2,700キロ離れた日本でも、太平洋側を中心とする国内の沿岸部に津波注意報・警報が発表され、全国各地で一時200万人以上が避難指示を受けました。一方で、震源は日本から遠く離れ、国内で大きな揺れは観測されませんでした。そんな中で発生した遠地地震の津波に対して、企業の担当者はどのように対応すべきか判断に迷ったのではないでしょうか。
今日は改めてあの時、何が起きていたのか、我々の行動は適切だったのか、今後に残すべき学びは何なのかを考えていきたいと思います。
「遠地津波」は想定外?各社の対応
多くの企業は、国内で発生する災害を想定し、日々対策を講じています。しかし、被害の規模や影響の範囲など実態が見えにくい遠地地震の津波への対応については、地震や風水害といった災害に比べると、あまりイメージができていなかったと推察されます。
地震発生後に太平洋沿岸部を中心に津波注意報・警報が発表されると、メディアでは積極的に避難を促す報道が相次ぎました。ただ、大きな被害に発展するかどうかは不明でした。そんな不確実性が高い状況の中、企業の担当者は避難や事業停止などの重大な決断を迫られることになりました。
多くの企業では、注意報や警報の発表タイミングで、
- 従業員を避難させるのか?
- 安否確認は行うのか?
- 対策本部は立てるのか?
- 事業を停止するのか?
などについてすぐに検討を始めたと考えられます。しかし、遠地地震による津波への対応やアクションにつながる基準をあらかじめ用意していた企業は限られていました。
下記の表は、弊社のお客様の中で、全国に拠点がありBCPにしっかり取り組んでいる大手企業数社の対応状況をまとめたものです。
表1 国内に複数拠点を持つ企業の対応事例
沿岸地域の自社関連拠点有無 | 避難 | 安否確認 | 対策本部 | 事業継続に関する判断 | |
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製造業A社 | 有(被害なし) | 実施 | 対象拠点のみ安否確認システムを発報 | - | 対象拠点で自主的に避難したため、一時的に停止(影響なし) |
製造業B社 | なし | - | 安否確認システムを発報 |
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一部拠点の判断で、午後に帰宅指示 |
製造業C社 | 有(被害なし) | 実施 | 安否確認を実施(システムによる個別確認はせず) | 立ち上げなし | - |
食品製造業D社 | なし | - | 発報基準を超えたため、安否確認システム自動発報 |
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東北地方の一部店舗は休業 |
食品製造業E社 | なし | - | 安否確認システム自動発報(数十回以上) | 立ち上げなし | 通常営業 |
商社F社 | 有(被害なし) | 実施 | 手動発報 | 対策本部設置 | 出社・出張への制限は設けず |
卸売業G社 | 有(被害なし) | 実施 | 対象拠点の担当者に個別連絡(システム発報はなし) | 立ち上げなし | 対象拠点は自主的に避難 対象拠点への出張延期 対象拠点は在宅勤務に切り替え |
上記の事例からは下記のような共通点を見出すことができます。
①避難:「命を守るスピード」は現場で決まる
津波に関する注意報・警報が発表された後、対象エリアの従業員を速やかに避難させることが最優先です。
実際に、東日本大震災での被災経験のある製造業A社は、本社からの指示を待つことなく、現場判断で全従業員を避難させました。これは日頃から訓練を繰り返し行っていた成果であり、従業員1人1人の意識の高さを感じさせます。
有事の際に重要なのは「命を守るスピード」です。判断を本社の決定に委ねるのではなく、各拠点がその場で判断し、即座に行動できる体制を整えることが不可欠です。そのためには、従業員が自ら判断することが必要です。本社主導ではなく、拠点主体で適切な判断と行動ができる組織文化こそが、従業員の命を守る鍵となります。
②安否確認:安否確認と避難行動の連携
気象庁が沿岸部に津波注意報・警報を発表した際、安否確認システムが自動で発報された企業がある一方、対象拠点の担当者に個別連絡を行った企業も多く見られました。
特に注意報・警報の対象エリアが限定的だったため、システムを使わず個別対応した企業も多かった中で、卸売業G社は安否確認システムを活用し、注意喚起や避難の呼びかけまでを行いました。
例えば、安否確認システムの発報時、「自分のいる地域は安全か、自身で判断し、適切に行動してください」といった文面を加えることで、避難を促す工夫をしていたのです。安否を確認すること自体が第一の目的ですが、安否確認システムの機能を柔軟に活用し、状況に応じて避難行動を後押しすることが非常に有効だと感じました。
さらにAIの活用も進んでいます。全国に拠点を持つある大手製造業では、津波警報発表後、AIによって、「津波警報の対象地域と自社拠点」を即座に特定し、迅速に避難を呼びかけることができたといいます。従来は、警報の内容を確認し、拠点が所在する対象地域を調べた上で各拠点に避難の連絡をしていましたが、AIを導入したことで、大幅な時間削減につながったと担当者は話していました。
もちろんAIの導入にはまだまだ課題があります。しかし、情報の正確性などを考慮しながら、安否確認や避難行動を迅速に支援する手段として、AIの活用は有効な選択肢となる可能性があります。
③対策本部:見えない危機にどう備える?対策本部の立ち上げと解散基準
今回、国内で大きな揺れが観測されなかったため、多くの企業では「対策本部設置基準」を下回ると判断されました。そのため、実際に本格的な対策本部を設置した企業は少なく、多くは担当事務局内での対応が中心でした。
しかし、被害が見えない時こそ、積極的に情報収集を行うことが大原則です。被害の有無や対策本部設置基準に関わりなく、対策本部にスムーズに移行できるような態勢を取ることが危機対応のあるべき姿だと考えます。
例えば、段階的に対策本部の前身となる警戒対策本部や情報連絡会などを立ち上げ、対策本部事務局を中心に担当役員らとコミュニケーションを取り、トップに適宜報告を行うことを推奨します。もしもの際に迅速に対策本部に移行できる態勢をとりましょう。
また、警報や注意報が長時間続く場合、いつ対策本部(または対応を検討する会議体)を解散すればよいのか判断に迷うでしょう。基本的には、①警報・注意報が解除され、②被害・影響の確認が終了した時点です。この2点が確認できた時点で、正式に対策本部を解散するのが適切です。
④事業停止判断:人命最優先の原則と事業停止の判断基準
警報・注意報の発表を受け、従業員を避難させた企業は、事業の一時停止に踏み切る企業も多く見られました。
一部の報道で伝えられている通り、トヨタ自動車や日産自動車など大手製造業の工場で生産ラインが停止しました。弊社のお客様の中でも従業員を避難させた場合、その後は在宅勤務や従業員の帰宅を指示した企業がほとんどでした。
事業の停止は大きな影響を及ぼすため、意思決定が難しい事項です。ただ、人命を守ることを最優先とする大前提を踏まえると、本社の判断や指示を待つのではなく、それぞれの拠点ごとにその時、その場で判断を行い、人命を守るために事業を停止する判断が必要です。そのためには先述した通り、常日頃から、本社だけでなく、各拠点で訓練を繰り返し、「避難が必要か」「どのような行動が適切か」と自分で判断する力が求められます。会社としても、各拠点・現場で判断ができるように有事の方針「人命第一」などを明確に全従業員に伝えることもポイントです。
カムチャツカ半島地震の津波対応から考える南海トラフ地震臨時情報への向き合い方
企業の対応事例を紹介しましたが、各企業の担当者は「被害が及ぶかどうか、不確実性が高いまま重大な決断を迫られる」といった状況であり、悩みながらの判断だったと想像します。
ここで注目したいのが、「不確実性の中での意思決定」です。これは2019年5月から運用が始まった南海トラフ地震臨時情報への対応にも共通します。
2024年8月、初めて南海トラフ地震臨時情報が発表されました。連日、メディア等で報道がなされ、鉄道の運行停止やイベントの自粛、企業の事業停止などが相次ぎました。幸いにも南海トラフ地震は発生しませんでしたが、南海トラフ地震臨時情報発表を巡っては各地で対応が分かれ、混乱を招きました。実際に多くの企業から南海トラフ地震臨時情報への対応に悩んだという声を聞きました。
このような事態に対して、内閣府は今年8月、南海トラフ地震臨時情報が発表された際に住民や企業等が取るべき対応のガイドライン(指針)を改定しました。事業者や自治体には「『地域や利用者等の安全確保』と『社会経済活動の継続』とのバランスを考慮しつつ、自らの行動を自ら判断することが重要である」としています。
要するに、臨時情報が出たからといって、やみくもに事業を止めるのではなく、点検や警戒を徹底しつつ事業を継続していくことが望ましい姿である、ということです。
表2 南海トラフ地震臨時情報防災対応ガイドラインの要点
巨大地震注意 | 巨大地震警戒 | |
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要件 | 南海トラフ沿いでM7.0以上の地震発生から最短2時間後、もしくは通常とは異なるゆっくりすべりが発生している可能性があると確認されて数時間後、後発地震の発生可能性が平常時と比べて想定的に高まったと評価された場合 | 南海トラフ沿いでM8.0以上の地震発生から最短2時間後、後発地震の発生可能性が平常時と比べて想定的に高まったと評価された場合 |
基本方針 |
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事業者が取るべき対応 |
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出典 内閣府の「南海トラフ地震臨時情報防災対応ガイドライン」(2024年8月改定)を基にニュートン・コンサルティングが作成
一方で、南海トラフ地震臨時情報は、社会全体の理解もまだそれほど高くはありません。自社の経営層や従業員ですらその意味を十分に理解していない場合があります。いざという時に迅速な判断を下すためには、平時から経営層や従業員に対し、制度の周知や対応方針を丁寧に説明しておくことが不可欠です。そうでなければ、緊急時に不必要な議論や説明に時間を費やし、初動の遅れにつながる恐れがあります。
そして、企業を取り巻く周辺住民や株主といったステークホルダーの不安を取り除くためにも、どのような対応や体制を整備しているのか説明できるように準備すべきだと考えます。
提言:不確実性下での「自己決断」を組織のDNAに
最後に強調したいのは、不確実な状況下でもルールや他人任せではなく、自ら決断を下す責任感を組織全体で持つべきだということです。
有事の際、完璧な情報が揃うのを待っていては迅速な意思決定はできません。カムチャツカ半島地震の津波や南海トラフ地震臨時情報発表時など不確実性の高い状況に直面すると、「事前に定めたルールがなければ動けない」という状況に陥りがちです。また、通常の意思決定者が常にその場にいるとは限らず、代行者が突然判断を任される事態も起こりえます。
だからこそ、その場にいる最高位の代行者が、判断を他人に委ねるのではなく、自らが責任を持って決断するという強い意識を持つことが危機対応の要諦です。この意識を、平時の訓練やシミュレーションにより組織全体で共有し、いかなる状況でも行動できる文化を育まなければなりません。
今回のカムチャツカ半島地震による津波対応は、まさに「最も効果的な演習」と捉えるべきです。現実に起きた事象を意識しなければ、訓練は形式的なものになってしまいます。事実に基づいて実際の対応を検証し、どのように動いたのか、どのような気づきがあったのかをしっかりと振り返る絶好の機会です。今後も「どうすればもっと対応を向上させられるのか」という問いを常に持ち続け、日々皆様の対応力が向上されることを願っております。