「ビジネスと人権」の主要課題トップ10を解説~IHRBの年次レポートを読み解く~
| 改訂者: | コンサルタント 角田 菜月 |
「Top Ten Business and Human Rights Issues in 2025」が2024年12月に発表されました。Top Ten Business and Human Rights Issuesは、特に注目すべき10のビジネスに関する人権課題への意識向上と対策を促すことを目的としたレポートです。
海外発の情報が中心で、日本語で整理された情報が少ない人権分野は、複雑で理解しづらい側面があります。本記事では、企業の皆さまが必要な情報を効率的かつ効果的に入手できるよう、重要なポイントに絞って解説します。本記事をお読みいただくことで、以下の内容を理解いただけます。
・2025年における人権リスクの主要トレンド
・社内勉強会やリスクアセスメントに活用できる人権リスク
・社内で検討すべき人権リスク
Top Ten Business and Human Rights Issues in 2025とは
Top Ten Business and Human Rights Issues in 2025は、2025年に特に注目すべき10のビジネスに伴う人権侵害への意識向上と対策を促すことを目的としたレポートです。このレポートは、企業、政府、投資家向けに、「ビジネスと人権」に関する国際的なシンクタンクであるInstitute for Human Rights and Business(IHRB)(※1)が毎年世界人権デーに発表しているものです。
IHRBが発行するレポートは、人権意識が高まる現代において企業が積極的に活用すべき、極めて信頼性の高い情報源です。というのも、同組織が公表する情報は、国連(UN)や経済協力開発機構(OECD)といった国際機関が策定する人権に関する指導原則やガイドラインにおいても参照されており、政策決定のプロセスに強い影響力を持っているからです。
(※1)IHRBは、企業活動における人権尊重を促進するために設立された独立した非営利組織です。
「ビジネスと人権」において企業が向き合うべき現実
本レポートは、人権デュー・ディリジェンスの義務化が各国で急速に制度化され、その遵守が一層厳格に求められていると指摘しています。例えば、EUにおけるサステナビリティ報告指令(CSRD)の発効により、企業は「ダブル・マテリアリティ(※2)」に基づく年次報告義務を負うようになりました。また、ドイツの供給網法(German Supply Chain Act)やフランスの注意義務法(Duty of Vigilance法)、ノルウェーの透明性法といった各国の国内法も整備されています。こうした法整備の結果、企業は形式的な対応ではなく、実効性のあるリスク特定・軽減の仕組みを構築することが強く求められるようになりました。
(※2)ダブル・マテリアリティ:企業活動が環境や社会に与える影響(インパクト・マテリアリティ)と、それらの環境・社会的な変化が企業の財務に与える影響(財務マテリアリティ)の双方を評価・報告するという考え方
紛争地域における人権対応の強化
紛争や不安定な地域で事業を展開する企業は、通常時とは比べものにならないほど高い人権リスクに直面します。本レポートでは、事業活動の地域や状況が不安定であるほど、企業は「責任ある行動」を徹底する必要があると指摘しています。
このような地域で人権への配慮を怠れば、国際的なNGOやESG投資家から厳しい監視を受けることになるからです。そして、もし紛争への加担や人権侵害を指摘されれば、ブランドの決定的な失墜や資金の大量流出など、回復困難な経営ダメージを被るリスクが極めて高まります。例えば、ウクライナやパレスチナなど紛争被災地域で事業を継続する際には、従業員や地域住民の安全確保が最優先課題となります。さらに、金融を通じた不正資金の流入防止や、国際人道法を遵守した責任ある撤退・進出の判断も不可欠です。 こうした対応は単なる危機管理ではなく、地域社会との信頼関係を維持し、事業継続可能性を高めるための条件でもあります。
新たな規制への迅速かつ適切な対応
テクノロジーやエネルギー転換の加速は、企業に新しい人権課題を突きつけています。本レポートは、AIや再生可能エネルギーの分野がもたらす倫理的・社会的リスクへの注視を促しています。すでに、AIによる差別やプライバシー侵害といったリスクに対応するため、EUではAI Actが制定され、高リスクシステムへの規制が進められています。AIの学習データに潜むバイアスや誤用は、差別や排除を助長する危険を伴うため、企業には透明性と説明責任が求められます。
また、再生可能エネルギーの拡大に伴い、風力・太陽光発電所の建設による地域住民の強制移転や、森林破壊による生態系への影響、さらにはコバルトやリチウム採掘の急増に伴う人権侵害といった課題が顕在化しています。
企業はこれらに対応するため、社内体制の整備や情報開示の準備を急ぐ必要があります。これは単なるコンプライアンス対応にとどまらず、企業の社会的評価やブランドイメージ、さらには投資家からの信頼にも直結する重要な経営課題です。
2025年の「ビジネスと人権」課題トップ10の解説
本レポートでは、「ビジネスと人権」において企業が向き合うべき現実、すなわち変化の激しい国際情勢や法規制の動向を踏まえて、トップ10の課題を以下のように示しています。
- Ensuring Accountability in the Rush for Renewables(再生可能エネルギー拡大に伴う説明責任)
- Preventing Finance from Fueling Conflict(金融による紛争助長の防止)
- Confronting AI Risks(AIリスクへの対応)
- Responding to Shipping Dangers(海運における危険への対応)
- Rebuilding War-Torn States(紛争被災国家の再建)
- Abiding by Humanitarian Law(国際人道法の遵守)
- Implementing Mandatory Measures(義務的措置の実施)
- Making Migration Work for All(人権に配慮した移民労働の実現)
- Advancing Workplace Diversity(職場におけるダイバーシティの推進)
- Restoring Confidence in Climate Action(気候変動対策への信頼回復)
出典:ニュートン・コンサルティングがTop Ten Business and Human Rights Issues in 2025から抜粋し翻訳
レポートは網羅的かつ読み応えがあり、一読をお勧めします。ここでは、課題を①全企業に共通する人権課題、②事業や地域に特有の課題 の二つに分類して整理しました。
①全企業に共通する人権課題
AIリスクへの対応(No.3:Confronting AI Risks)
| 課題の概要 |
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|---|---|
| 企業に求められる対応 |
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| 関係する部署 |
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義務的措置の実施(No.7:Implementing Mandatory Measures)
| 課題の概要 |
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|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
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人権に配慮した移民労働の実現(No.8:Making Migration Work for All)
| 課題の概要 |
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|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
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職場におけるダイバーシティの推進(No.9:Advancing Workplace Diversity )
| 課題の概要 |
|
|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
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気候変動対策への信頼回復(No.10:Restoring Confidence in Climate Action)
| 課題の概要 |
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|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
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出典:ニュートン・コンサルティングが、Top Ten Business and Human Rights Issues in 2025を基に要約
②事業や地域に特有の課題
再生可能エネルギー拡大に伴う説明責任(No.1:Ensuring Accountability in the Rush for Renewables)
| 課題の概要 |
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|---|---|
| 企業に求められる対応 |
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| 関係する部署 |
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金融による紛争助長の防止(No.2:Preventing Finance from Fueling Conflict)
| 課題の概要 |
|
|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
|
海運における危険への対応(No.4:Responding to Shipping Dangers)
| 課題の概要 |
|
|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
|
紛争被災国家の再建(No.5:Rebuilding War-Torn States)
| 課題の概要 |
|
|---|---|
| 企業に求められる対応 |
|
| 関係する部署 |
|
国際人道法の遵守(No.6:Abiding by Humanitarian Law)
| 課題の概要 |
|
|---|---|
| 企業に求められる対応 |
(※3)ICoCA認証とは国際民間警備会社協会(International Code of Conduct Association:ICoCA)が付与する認証で、民間警備会社が人権尊重や法令遵守、責任ある行動規範に基づいて業務を行っていることを保証する仕組み |
| 関係する部署 |
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出典:ニュートン・コンサルティングが、Top Ten Business and Human Rights Issues in 2025を基に要約
企業に求められている行動とは
本レポートで示されたトップ10の課題は、「再生可能エネルギー拡大に伴う説明責任」や「AIリスクへの対応」などといったすべての企業に共通するテーマから、「紛争被災国の再建」や「人権に配慮した移民労働の実現」といった地域固有の課題まで、多岐にわたります。一見バラバラに見えるこれらの課題ですが、いずれも「実効性ある人権デュー・ディリジェンス」と「経営トップのリーダーシップ」を通じて取り組むべきだという共通点を持っています。
なぜ実効性ある人権デュー・ディリジェンスが必要かといえば、形式的な対応では人権侵害の根本原因を把握できず、重大なリスクを見逃す可能性があるからです。実効性ある人権デュー・ディリジェンスによってこそ、サプライチェーン全体で潜在する課題を特定し、軽減策につなげることが可能となります。その実効性が担保されて初めて、投資家や国際社会からの信頼を確保でき、訴訟・規制違反・資金引き揚げといった経営リスクを防ぐことができるのです。
また、なぜ経営トップのリーダーシップが不可欠なのかと言えば、人権課題がサプライチェーン全体や海外拠点にまで広がり、現場任せや事務局だけでは全体像を把握できず十分な対策につなげにくいからです。さらに、「AIリスクへの対応」や「再生可能エネルギー拡大に伴う説明責任」、「気候変動対策への信頼回復」といった課題は、事業ポートフォリオや経営戦略そのものに直結し、部門レベルでは意思決定できません。そして、こうした対応の有無は企業価値や投資家の信頼、ブランド評価にも直結するため、トップ自らが方針を示し、全社横断で推進することが不可欠なのです。
これらの取り組みを実践するにあたっては、企業の現状に即した段階的なアプローチを採用してみてください。具体的には、すでに人権課題に取り組んできた企業はその施策の効果を検証し改善を図ることに着手し、他方、これから取り組みを本格化させる企業は基盤づくりと経営層のコミットメントの確立から始めていきましょう。以下に対応のポイントを整理します。
(1)すでに人権に取り組んできた企業に求められること
すでに人権課題へ取り組んできた企業は、既存施策の効果を検証し、改善を重ねることが次のステップです。例えば、「AIリスクへの対応」や「CSRDをはじめとするサステナビリティ報告義務への対応」では、形式的な体制整備にとどまらず、実質的にリスク特定と軽減につながる仕組みへと深化させることが重要です。さらに、取り組みの成果を外部にどう発信し、透明性を確保するかも問われており、評価指標や検証プロセスを明示することが、投資家やステークホルダーの信頼につながります。また、一企業の努力では解決困難な構造的課題に対しては、国や業界団体との協働など、外部との連携強化が求められます。こうした外部連携を積極的に進めることで、自社の対応力を補完しつつ、業界全体のスタンダードづくりにも貢献できるのです。
(2)これから取り組む企業に求められること
一方、これから人権リスク対応を本格化させる企業には、まず経営層の明確なコミットメントと全社的な基盤づくりが求められます。サプライチェーンに潜む移民労働や紛争地域での事業展開といったリスクを、コストや義務ではなく企業価値向上の機会と捉える視点が重要です。その上で情報開示や社内体制整備を進めることが、次の成長につながります。加えて、初期段階では「まずどこから始めるか」を明確にすることが大切で、リスクの全体像を把握したうえで優先順位を設定することが成功の鍵となります。さらに、小さな成功事例を積み上げていくことで、社内の理解や協力を得やすくなり、人権対応を一過性ではなく継続的な企業文化へと根付かせることが可能になります。
企業活動のサプライチェーンがグローバルに広がる現代において、人権デュー・ディリジェンスへの取り組みはもはや避けられない必須対応事項です。これを怠る企業はグローバルサプライチェーンから排除されるリスクが高まります。本稿で取り上げたシンクタンクや国際機関、業界団体のレポートを積極的に活用し、自社の戦略やリスク対応に反映させていく姿勢こそが、企業の存続と競争力維持につながります。